静的安定経営が通用した時代

世の中には多くの企業経営に関わる戦略的思考があります。マイケル・ポーターのファイブ・フォース(5つの競争要因)分析、BGCのPPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)分析、ハメル&プラハラードのコア・コンピタンス分析・・・などは、どれも優れた理論ではありますが、現在使われている戦略のフレームワークやツールは、ある一つの考えに支配されています。

 

それは、戦略の目的は持続する「競争優位の確立」だという考え方です。競争優位を確立することは、ほとんど全ての戦略論の基本的なコンセプトであり、あらゆる企業において究極の目標になっています。

 

「差別化」という言葉を日常的に使うビジネス・パーソンが多いと思いますが、この言葉は競争戦略の手段の一つに過ぎません。しかし、これほどまでに刷り込まれている競争優位の確立という考えは、これからの時代においては、もはや相応しいものではなくなってきています。

 

機能やサービスによって差別化を行っても、遅かれ早かれ競合が参入してくることで、競合する商品同士の差別化特性(機能、品質、ブランド力など)が失われ、価格だけを理由に選択が行われるコモディティ化が起きます。そのときに勝ち残れるかどうかは、他社より徹底的に低いコストを達成して差別化要因を維持するというコスト・リーダシップ戦略を実現できるかどうかにかかっています。

 

徹底的な低コストを実現するために重要なキーワードは「効率」です。生産効率を上げる、運送効率を上げる、販売効率を上げる、運営効率を上げる・・・という具合に、コストの低減は効率を上げることによって達成されます。

 

そのために、企業規模の拡大を図り、分散している資源を集約し、現在のビジネスモデルに対して最適な組織を構築します。このような時間をかけて不沈船にも似た企業体を作り上げる従来の経営スタイルを「静的安定経営」と呼んでいます。

 

会社をタイタニック号のような大型船舶に仕立てることは、変化の方向性が予測でき、しかもそのスピードが想定の範囲内で収まっている限りでは有効な手段でしたが、いま市場で起きているある変化のために、企業を崩壊に導く危険を持つようになってきたのです。

 

いま市場で起きている変化

不況、デフレ、円安・・・など、日本経済が抱えている課題はいくつもあります。このような巨視的な変化を理解することは簡単なことではありませんが、身近で起きている分かりやすい変化があります。

 

それは、さまざまな場面における「選ぶ基準」が急激に変化しているということです。この重要な事実に気付かずに、いままで通りのやり方で真面目に努力していても、状況は良くなるどころかむしろ悪化していくことになります。

 

厳しい市場環境がつづく中、経営者として思わず口にしてしまう言葉があります。
「不況だからモノが売れない」

 

しかし、不況だからモノが売れないのではありません。最初に、この正しい認識を持つことがきわめて重要です。

 

景気が良くなれば売れるようになるのではなく、売れるから景気が良くなるのです。

 

そのためには、まず知らない間に刷り込まれている 先入観を捨てる必要があります。

 

「お金がないから買えない」

「安いモノしか売れない」

 

こうした思い込みは間違っています。

 

本当は、お金がないから買えないのではなく、欲しくないから買わないだけなのです。

 

なくては困るもの

これまでのビジネスの考え方の基本は、消費者が必要とするモノやサービスをなるべく高品質かつ低価格で提供するというものでした。企業側としても、もともと必要とされているのだから売れない心配をする必要がないどころか、必需品市場は規模が大きいので、売上が伸び続けることによって成長を実感することもできました。

 

そのお陰で、われわれ日本人は物質的に豊かになりましたが、「ないと困るものがないと本当に困る」ことには違いはありません。飢えをしのぐための食品や寒風を遮るための衣服、雨露を凌ぐための寝床など、ないと本当に困ります。そこで企業は、いままで「ないと困るもの」を作り続けてきました。

 

でも不思議なことに、それらは、ないと困るにもかかわらず買いたたかれます。なぜなら、作れば作っただけ売れると思って作り続けていても、市場のキャパシティを超えると、ないと困るものが余り出すからです。

 

ではモノが余り始めたから企業は生産を止めるのかというと、そうはしません。生産を止めてしまえば売上が全く立たなくなるし、自社だけが止めることで生産を続けている競合他社に塩を送ることは避けたいからです。

 

結局、企業は少しでも競合から抜け駆けをすべく、より優れた商品をより安い価格で開発し続けるしかないというジレンマを抱えるのです。

 

なくても困らないもの

人間は生きていくために、毎日食事よってカロリーを摂取しなければなりませんが、長引いた不況とデフレの影響で、サラリーマンの平均的な昼食代は500円そこそこという状況となっています。そのために格安な外食メニューがたくさん現れました。牛丼並盛り291円、ハンバーガー100円、かけうどん230円という価格で提供している店があります。

 

一方で、テレビの通販番組を見ていると、ほとんどカロリーがないダイエット食品が1食あたり1000円で売られています。ダイエット食品は、なくても困らないものです。

 

自動車は現代社会においては、欠くことのできない移動手段になりました。特に公共交通機関が手薄な地域に住んでいる人にとっては、なくては困るものです。だから、初期投資額も維持費も安い軽自動車の人気がここ10年間高まっています。そして実際に買うときは、少しでも値引き額を大きくするために、相見積もりをとったり決算期を狙ったりと安く購入する努力に余念がありません。

 

一方で、同じ自動車ではありますが、1962年製の希少なスポーツカー「フェラーリ 255GTOベルリネッタ」が、アメリカ・カリフォルニア州でオークションにかけられ、史上最高額の約3800万ドル(約39億円)で落札されました。フェラーリ255GTOは、なくても困らないものです。

 

現在、そしてこれからの世の中においては、なくても困らないものの方がなくては困るものより高い価格が付くのです。

 

もともと外食店も自動車も、最初から世の中にあったわけではなく、「あると便利なもの」としてあるとき出現してきたものです。しかし、「あると便利なもの」は時間の経過とともに「ないと不便なもの」に変わります。その境目を過ぎると、「ないと困るもの」を購入する動機は「不便だから」という衛生欲求に変わってしまうのです。

 

柔軟で俊敏な企業体質

これからの時代の企業は、消費者のニーズに応えてなくては困るものを提供しようとしても、一部の大手企業以外はコスト低減に明け暮れて疲弊するばかりで、会社もそこに携わる人も潤うことはないでしょう。

 

このところ「ブラック企業」と称される会社が増えていますが、人件費をコストと見なしてその低減に真面目に取り組んだ結果として、サービス残業や過酷なシフトという状況を招いたのです。表面的には、ブラック企業と呼ばれている会社の人事労務管理に問題があることは間違いありませんが、本当の問題はその企業が目指しているゴール、事業動機、採用している戦略が誤っているということなのです。

 

企業経営を船旅に例えてみると、これまでの時代は、大型客船が快適な船旅を保証してくれました。ただし、航行は昼間だけで航路の天候がずっと良好ならばという条件が付きます。タイタニック号の事故を思い出してください。闇夜に想像を絶する流氷塊が突如現れると、舵を一杯に切りスクリューを全開で後進に切り替えても慣性の大きさに抗えずに衝突を招き、船は沈没していきます。

 

では、これからの企業経営にとって相応しい船とはどのようなものでしょうか。条件は、強力なエンジン、鋭い舵、小回りの効く船体ということになりますが、船体については海の上を進むだけではなく、必要に応じて潜水航行、陸上走行、そして空中飛行がができるように形態を短時間で変容(トランスフォーメーション)することができる能力が求められます。

 

つまり「柔軟性」と「俊敏性」を持った経営が求められることになりますが、それは受動的に「変化」を受け入れるための能力ではなく、能動的に「変化」を生み出していくために必要な能力です。

 

能動的な変化を生み出す際には、古いものの破壊と新たなものの創造が行われますが、変化とは一切合財を捨て一面を焼き野原にすることではありません。 変化において最も大切な考え方ををニーバーの祈りが端的に語っています。

 

 

『変えることのできるものについて、 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

 

変えることのできないものについては、 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

 

そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ。』

 

 

「変化」を主導し、そのための「決断」を的確に行うためには、変化させるものに目を向ける以上に、変化させてはいけないものを明らかにすることが不可欠なのです。

 

経営における変化は、革新(イノベーション)という言葉で表されることが多く、その重要性が言われるようになって久しいですが、真の革新に求められることは、目新しさだけを追求することではなく、姿形は変異流転しても不動の核(コア)を明確にすることです。

 

しかも核(コア)とは単に中心に位置するというだけの意味ではなく、企業とその周囲に求心力を生み出す価値を持っていなければなりません。したがって、ここで言う核(コア)とは「競争優位のために損得以外に企業理念が必要だ」というような主客が逆転したご都合主義において語られる理念のごときものとは、一線を画します。

 

核(コア)を持つことで、外部環境が変化しても軸がぶれない「決断」を的確に行うことができるようになります。そして「革新」のマインドを持つことで、変化に対して受動的ではなく能動的になり、「決断」のタイミングをいたずらに先送りすることなく適切な時期に「決断」をすることができるようになります。

 

これからの企業経営においては、まず「強み」をベースとした価値観を明らかにすることで核(コア)をあぶり出す必要があります。そして、人と組織はイノベーションを継続的に起こすためにデザインされ、ビジネスモデルは新たな欲求を生み出すことを目的として常に刷新され続け、資産は変化するビジネスモデルに容易に追随できるように身軽になります。

 

なぜなら、一つのビジネスモデルによる継続的な競争優位という戦略が効力を失い、一時的な競争優位を次々と継続的に作り出せる企業こそが、強い企業になるからです。

 

独楽は高速で回っているときほど安定し、しかも回転を続けながら盤面を移動していくことができます。これからの企業に求められる経営とは、独楽のように安定を図る「動的安定経営」なのです。