東京都と英国で起きた2つの出来事の共通点

舛添要一氏が6月15日に都知事の辞任届を提出し、21日付けで都庁を去ったことは、ご存じの通りです。

 

その結果、次の東京都知事を決める選挙が7月14日に告示され、同月31日に投票が行われます。

 

「問題の」舛添氏が辞めたのはいいけれど、「では、次の都知事にふさわしい人はだれ?」という具体的かつ喫緊の課題を、都民は突き付けられました。

 

ところが、出馬表明をした人、出馬表明を噂されている人、いずれの顔ぶれを眺めてみても「帯に短したすきに長し」「どんぐりの背比べ」「五十歩百歩」「大同小異」「目くそ鼻くそ」・・・という感想を否めず、つぎの憂鬱を都民は抱えたに過ぎません。

 

一方、日本から海の遙か彼方の国である英国に目を向けると、EU離脱の是非を問う国民投票が6月23日に行われた結果、反対48.11%に対し賛成が51.89%と僅かなら上回り、事前の予想を覆して英国のEU離脱への第一歩が踏み出されてしまいました。

 

国は違えども、「民意」によって巨大都市や一国の重大な方針が決定されることがあり得ることを、これら2つの事実が示しています。

 

舛添前知事は、辞任の直前には無給でも構わないから知事として任期を全うしたい旨を発言をしていました。

 

でも、「金の問題じゃない。知事である以前に人間としての品格の問題だ」という世間の声の前では、焼け石に水でした。

 

その結果、舛添氏は知事を辞め、次の東京都知事を決める選挙にかかる費用として、47億9600万円が補正予算として計上されました。

 

また、海外視察における大名旅行ぶりが問題視されていましたが、その金額は8回で2億1300万円でした。

 

一方で舛添前知事は、2014年11月に新設を予定していた東京五輪3会場の建設中止を決定し、2000億円の予算削減効果を出しました。

 

英国のEU離脱に賛成票を投じる国民が多かった理由として、移民流入問題が取り沙汰されています。

 

知識人の多くは、英国のEU離脱によるメリットよりデメリットが多いことを主張していましたが、そんな空念仏は多くの国民の耳には届きませんでした。

 

むしろ、目の前の多くの移民が原因で、自国民の就労機会が奪われ、公共サービスのキャパシティ・オーバーによる質の低下がもたらされているという単純な因果関係だけで、離脱を支持した人が多かったことが伝えられています。

 

舛添要一氏が東京都知事を辞任したことも、英国が国民投票でEU離脱賛成はが多数を占めたことも、ポピュリズムの弊害だと非難する論調がマスメディアにおいては増えています。

 

ポピュリズムがどうかを考えることは非常に興味深いのですが、政治に関わるテーマなので、このコラムでは触れません。

 

ただし、これら2つの出来事は、単に政治の世界に留まる話ではありません。

 

企業経営の今後を考えていくうえで、経営者が把握しておくべき重要な示唆が含まれています。

 

科学が大きく変えた人間社会

イラチな方は同意しかねるかもしれませんが、ことの道理を理解するために大切なのは「急がば回れ」ですから、時代を大きく巻き戻してから話をスタートします。

 

今から200年前、今回EU離脱で話題となった英国で産業革命が起きました。

 

産業革命によって、同時に科学技術も急速に発達しました。

 

農業技術の発達により、多くの人々が飢えから救われ、工業技術の発達によって、多くの人々の暮らしを一気に豊かにしました。

 

最低限の衣食住が潤っただけに留まらず、演劇、ファッション、グルメ、乗り物、遊び・・・と、それまで貴族達によって独占されていた特権や娯楽が、すべて大衆にも開放されたのです。

 

つまり、科学の力は、地理的な障害、身分の違いをも解消することにつながりました。

 

その結果科学は、生活を豊かにし娯楽を与えただけに留まらず、人々を「市民」にしました。

 

科学が、人々の楽しみを普遍化・平等化することによって、封建制度とそれに伴う身分制度を崩壊させたからです。

 

そんな科学を、かつての私たちは熱狂的に支持しました。

 

人々は熱心に働いて量産をし、たくさん買い込み、大いに遊び回りました。

 

家の中は便利な家電製品で溢れ、父親は残業と休日出勤で家にいる暇がありません。

 

その当時、多くの人が科学を無条件に良いものとして信じていました。

 

  • 人類は、やがて月に住み、火星にも降り立つだろう。
  • 人類は、医学の進歩により、不老不死を手に入れるだろう。
  • 人類は、合理的意思決定により、地上から戦争を絶滅するだろう。
  • 人類は、民主主義の力で、最大多数の最大幸福を実現するだろう。

 

少なくとも、日本ではバブル景気が崩壊するまでは、ほとんどの人々が科学主義者だったはずです。

 

でも、今現在はどうでしょうか。

 

どんなに理路整然とした合理的な説明を聞いても、私たちはもう、それが魅力的には聞こえません。

 

科学が、必ずしも人類を幸せにしてくれるとは、信じていないからです。

 

科学を信じられなくなった理由

一つ目は、科学と人間の幸せの間には、単純で一直線な因果関係がないことに、多くの人が気付き始めたことです。

 

インターネットが発達すると、個人情報の漏洩とかワンクリック詐欺にかかるリスクが増える副作用が出てきます。

 

9.11東日本大震災による福島第一原発事故によって、人類の生み出した利器の功罪の両面を知ることにもなりました。

 

たしかに、いま手にしている科学や文明が無くなったら不幸になるでしょうが、逆は必ずしも真ならずで、「不幸ではない」ことと「幸せである」ことは全く違う問題であると、多くの人が思っています。

 

科学自体が発達し過ぎた弊害として専門化が進み、科学に携わる人が特定分野にはまり込んでいるアキバ系オタクのような存在になってしまいました。

 

おまけに、研究成果のねつ造問題とか、研究費の不正流用とか、アカデミック・ハラスメントとかいった情報過多な時代を特徴づける情報がたくさん耳に入るために、科学者自体を信用できないという風潮も招いています。

 

そしてトドメは、マスメディアが原因です。

 

かつて、ジャーナリズムを中心としたマスメディアは、一貫して科学主義を肯定し、その促進に努めていました。

 

しかし、今や視聴率や購読数稼ぎが最も重要で、広告主の顔色が無視出来ない中、目新しさやおもしろいという基準で情報を集めることが優先されてしまい、科学的な正しさは置き去りにされています。

 

結果的に、マスメディアを通じて情報を仕入れ始めると、必ず矛盾する結論のデータが、無数に現れて来てしまいます。

 

毎年のように現れては消えるダイエット手法なんかは、その最たるものでしょう。

 

納豆ダイエット、キャベツダイエット、朝バナナダイエット、夜トマトダイエット、ヨーグルトダイエット、サバ缶ダイエット・・・

 

この時点で、多くの人は科学的な正しさでものごとを判断すること自体、放棄してしまいます。

 

だから、いまとなっては、テレビは受け手の映し鏡として、朝から「星座占い」の結果を流し、辛口の週刊誌にも「占いコーナー」があるわけです。

 

かつての科学主義礼賛の立場で考えれば、占いなんか意味がないことは間違いないのですが、科学的な正確性よりも「自分のイマ・ココでの気持ち」が最も大切な現代人気質が優先されています。

 

このところコンスタントに、日本からノーベル賞受賞者が出ていますが、マスメディアは家族の喜びの声とか、幾多の困難を乗り越えた研究秘話で構成された感動ストーリーとして、ノーベル賞受賞を伝えます。

 

サッカーの日本代表の試合を伝えるのと同じスタンスで、科学の最先端の話題が、感動やおセンチを売りモノにする二流のコンテンツに成り下がっています。

 

いまの世の中で多くの人にとって大切なことは、科学的な正しさや合理性よりも、自分自身の「イマ・ココ」にある瞬間的な気持ちなのです。

 

バラ色の経済成長も信じられない時代

さて、ここまでの話にお付き合いしてくれた方の中には、科学主義が廃れてしまったとしても、経済は不滅だと思っている人が少なからずいることでしょう。

 

むしろ科学を信用したバラ色の未来が描けない反動で、より拝金主義に走っているのが、現在の日本人像ではないかと。

 

しかし、若者の就職動向を見ると、彼らが拝金主義で動いているとは思えません。

 

ブラック企業は避けたいと思う一方で、給料が頭抜けて高くてより安定した仕事や企業を就職先の第一条件にしていません。

 

むしろ、「おもしろいか」「フィーリングが合っているか」「ネットワークが広がるか」といった判断材料の方が、より大きなウェートを占めています。

 

だが一方で、具体的に「こんな仕事がしたい」という希望がありません。

 

子どもが将来なりたい職業の新旧を見てみましょう。

 

出典:朝日新聞1970年11月02日朝刊19面 『現代っ子の「なりたい職業」は・・・』

順位 男子 女子
1位 エンジニア スチュワーデス
2位 プロ野球選手 デザイナー
3位 サラリーマン 先生
4位 パイロット 看護婦
5位 電気技師 タレント
6位 医者 ジャーナリスト
7位 自営業者 漫画家
8位 科学者 小説家
9位 建築設計士 婦人警官
10位 漫画家 美容師

 

出典:クラレ2016年4月4日発表 新小学1年生の「将来なりたい職業」

順位 男子 女子
1位 スポーツ選手 ケーキ・パン屋
2位 警察官 芸能人・歌手・モデル
3位 運転士・運転手 花屋
4位 TV・アニメキャラクター 教員
5位 消防・レスキュー隊 看護師
6位 研究者 保育士
7位 ケーキ・パン屋 医師
8位 医師 アイスクリーム屋
9位 大工・職人 警察官
10位 自営業 デザイナー

 

1970年の調査結果の男子の3位に「サラリーマン」が入っているのに、2016年の調査結果では完全に圏外になっています。

 

しかし、昔の子どもは夢がないから「サラリーマン」になりたいと思ったが、いまの子どもは創造性が高いからサラリーマンになりたいとは思わないと解釈するのは短見です。

 

経済の将来に対して、人々が希望と信頼を抱いている時代は、子どももサラリーマンになりたがるのです。

 

つまり、将来の経済に対して夢も希望も持っていない親が多いから、「パパのようなうだつの上がらないサラリーマンにならないように、スポーツ選手になって一攫千金を狙えとか、公務員になって安定を手に入れろとか、手に職を付けて食いっぱぐれるなとか」吹き込まれている子どもがたくさんいるというように、読み解くべきです。

 

昔の子どもでサラリーマンになりたいと思っていた子達は、大きくなって実際に職業選択の場面に立っても、初志貫徹をすればよいだけです。

 

つまり、昔は職業選択において初志貫徹が可能な子どもが一定割合いたのですが、現代の子どもについては話は変わります。

 

新小学1年生が将来なりたい職業は、昔以上に絵空事に過ぎません。なんてたって4位に「TV・アニメキャラクター」が入っているくらいですから。

 

いまの子ども達は成長するにつれて、「何にもなりたい職業がない」状態に陥る割合が多いはずです。

 

それが証拠に、学部卒で就職せずに大学院へ進学する割合が、年々増加しています。

 

細かいデータは転載しないので、詳細を知りたい方は下記リンクを参照ください。

 

参考リンク▼
内閣府 26年度版 男女共同参画白書(概要版)

 

その他、学部を卒業してから、他の大学や専門学校に入学しなおす学生も珍しくありません。

 

彼らは、口を揃えて「もっと勉強がしたい」と言います。仮に就職しても、時間に余裕のある仕事をしながら勉強は続けたい、と考えているのです。

 

公務員になりたがる学生が多いのも、同じ系譜上にあります。

 

公務員=定時勤務と考えている若者は、仕事が終わってから、失職のリスクに怯えることなくセカンドスクールに通い放題です。

 

2008年のリーマンショック以降、この傾向に拍車がかかりました。

 

もはや誰も、現存の資本主義経済システムに希望を持てず、「ちゃんと就職すること」「きちんと働いて自活すること」「経済システムの中に所属して貢献すること」という価値観を信じられなくなってしまいました。

 

ニートになって親の世話になり続けても、生活保護を受給しても、「最少労力で最大利益が得られる」という目的が達せられている以上、失敗でも負けでもありません。

 

「科学や合理主義が、人類を幸せにする」という価値観が崩れたために、科学への信頼が失われたように、経済も「一生懸命働くことで、最大多数の最大幸福が実現できる」という価値観が内包できなければ、希望を与えてくれなくなります。

 

「頭を使う」よりも「心を使う」時代の訪れ

これまでの科学主義が信奉され、資本主義経済が希望を与えてくれていた時代では、多くの人々は損得を考えて「頭を使い」行動してきました。

 

しかしこれからは、「イマ・ココ」での自分の気持ちで行動を決める「心を使う」時代へと変わって来ています。

 

だからこそ、確かに舛添前都知事はいけ好かない人物ではあったが、彼の削減した経費と無駄遣いした経費を衡量したり、彼を無給で知事職に留め置くことと辞任に追い込むことで都知事選に経費をかけることを衡量することよりも、「あんな輩が東京都知事で居続けることが気に食わない」という「イマ・ココ」での自分の気持ちを優先する人が圧倒的に優勢なのです。

 

また英国においては、EUを離脱することによる中長期的なデメリットを理解する気もなく、ただ目下のイライラの元凶を押し寄せる移民と決め付けて、それを排斥することをを選択した人々が多かったために、国民投票の結果が相成ったわけです。

 

地理的には遠く離れた地球の反対側同志で起きた2つの出来事は、「頭を使う」よりも「心を使う」時代を象徴しているという点において、その根っ子を共有していると思えます。

 

つまり、「好き」は損を超えることが出来るけれど、得が「嫌い」を超えることが出来ない時代になったということです。

 

でも、このような時代気質になったことは、悪いことばかりではありません。

 

まったく同じ商品で、しかもこちらの方が少し高くても、こっちの店で買いたいと思う顧客が現れています。

 

また、なぜこんなに値段が高いのか意味不明な商品なのに、限定販売をすると瞬時に売り切れるという現象が起きています。

 

しかし反対に、どんなに安くても、あの店では絶対に買い物をしたくないという気持ちには抗しがたいのです。

 

こうした傾向は、企業経営に対しても大きな影響を与えてきます。

 

優秀な人材を得たければ、人の「頭」を説得するよりも、「心」に訴えかける必要があります。

 

なぜなら、当世の若者達は、まるで異性を選ぶように、就職でも自分の「心」や「感情」を優先しているからです。

 

そのためのメッセージや価値観が存在しない、あったとしても表現出来ていない企業には、応募者を集めることすら難しくなるでしょう。

 

顧客と向かい合う場合は尚更です。

 

これまでは、「ベネフィット」「バリュー」という言葉で象徴される「損得」を基準にして、自社の商品を顧客へ訴求するのが王道でしたが、これからは、先ず顧客から「好かれる」ことが何よりも大切になります。

 

でも、顧客の顔色ばかりうかがっている顧客迎合的な企業は、嫌われなくても、決して好かれることはありません。

 

「嫌われないこと」と「好かれること」の間に横たわる大きな違いを理解し、それを実現することが企業経営者にとって避けて通れない課題なのです。

 

今週末には、参議院選挙の投票があります。

 

東京選挙区や比例区の候補者の顔ぶれを見ると、元スポーツ選手やらタレントやらといった知名度はあるけれど政策があやふやな人物で溢れています。

 

これまでは、「私に投票してくれれば、当選した暁には、こんなお得なことがあります」と訴えかけるのが、候補者の語り口でした。

 

だがこれからは、いくら損得勘定で訴えても、人々は嫌いな人物を決して支持しません。

 

だから自ずと、中味はスカスカだけれど好感度だけは高い意味不明な候補者だらけになっているのです。それもこれも、政治が悪いのではなく、有権者である私たちの映し鏡なのだから、文句は言えまい。

 

企業においては、経営者が何を好むかによって、大きな岐路に立つ時代になり、政治においては、国民が何を好むかによって、日本が大きな岐路に立つ時代になったということを肝に銘じましょう。