マネジメント2.0の時代~プロ経営者ではなくリアル経営者を目指せ!
退任が続く有名プロ経営者たち
ベネッセの原田社長とLIXILの藤森社長の退任という事実を受けて、マスメディアの論調は、一時は救世主としてもて囃された「プロ経営者」という存在に対して、疑問符を付け始めています。
参考リンク▼
ベネッセ、原田社長退任!「プロ経営者」に経営を任せていいのか(2016年5月23日 プレジデント・オンライン)
「プロ経営者」受難の時代、原田ベネッセ社長退任(2016年5月11日 日本経済新聞)
ただし上の2つの記事を読むと、原田氏にとっては顧客情報流出、藤森氏にとっては買収した中国子会社の不正会計という「不測の事態」が発生したために、期待された業績を上げられず、然しもの経営請負人も結果を出せずに退任を余儀なくされたという説明をしています。
でもプロ経営者とは、予定調和された環境において好業績をあげるトップマネジメントを意味するわけではないはずです。
現実の経営においては、不測の事態や不慮の事故が常につきまとうことを、経営者ならば誰しも覚悟しているはずです。
そういう意味では、上の2つの記事は単なるゴシップの域を出ておらず、ことの本質を射抜くことなく「だからどうした」というレベルに矮小化しているに過ぎません。
結果を見て、ダメだと叩くのはマスメディアの得意技ですが、打率10割のバッターがいないように、いついかなる状況でも必ず成果を上げる経営者など最初から存在しません。
だから、原田氏と藤森氏が退任したからといって、「優秀なプロ経営者がいない」とか「原田氏のメッキがはげた」というようなことを言うつもりはありません。
重要なのは、前景化している有名プロ経営者の退任という事象に目を奪われることではなく、その背景にある「プロ経営者に過大な期待を抱く時代の共通認識」に是正が求められているということの方です。
「手段」の巧拙ではなく「目的」が問われている
相対性理論で有名なアルバート・アインシュタイン氏は、かつて語りました。
A perfection of means, and confusion of aims, seems to be our main problem.
手段の完璧さと、目的の混乱。この2つが、私達の主な問題に思える。
これほど、現代の社会における課題を端的に指摘した表現はありません。当然、人類にとって最も重要な社会工学のひとつである経営についても、アインシュタイン氏の指摘は当てはまります。
たしかに、「これで問題は解決!」との謳い文句とともに、手段としての方法論やフレームワークは無数に存在しますが、経営の目的については、「山があるから登る」という低次なレベルから長年抜け出せていません。
そのため、成功の秘訣とは、与えられた課題に対して、いかに迅速かつ的確に正しい「やり方」を探し出して適用するかにある、と考えている人がたくさんいます。
そうした人々は、進取の気性を持っているつもりでも、17世紀に確立された「機械的世界観」と「要素還元主義」を二つの柱とした近代科学の知的パラダイムの中にどっぷりとハマっていることに気付いていません。
機械的世界観とは、「世界は、いかに複雑に見えようとも、結局は、一つの巨大な機械である」という発想にもとづく世界の見方です。
そして、要素還元主義とは、「何かを認識するためには、その対象を要素に分割・還元し、一つ一つの要素を詳しく調査したのち、結果を再び集めればよい」という考え方です。
したがって、近代科学的経営の根底には、「企業は一つの機械であり、この機械を改良するためには、これを分解し詳細に仕組みを調べればよい」「そして、企業活動を発展させるためには、企業を適切に設計し、制御すればよい」という考え方が隠されています。
なるほど、経営がこれからも機械論的かつ要素還元的に取り扱えるものであれば、経営の良し悪しとはあくまでも「手法」の巧拙の問題に過ぎないという意見に同意します。
フレームワークを駆使した分析能力に長け、過去の成功事例をパターン化して別企業の経営に適用することは、改善の効率を著しくアップすることは間違いありません。
いままでのような内部昇格の社長では、直面している厳しい経営環境を乗り越えていくことはできない。
だから外部から招聘してでも、優秀な「プロ経営者」に会社の舵取りをしてもらう必要がある。
しかし現実は、その「プロ経営者」が期待どおりの成果をあげてくれないという事態が生じています。
なぜなのでしょうか。
その理由は、経営の困難さの強度が同じベクトル上で増したのではなく、経営の質を上げるための要因が変化したことを見過ごしているからです。
企業経営を「構造」として捉える時代は終わったのです。同時に、構造に付随していた「性能や効率」により評価する視点も限界を迎えました。
これからは、企業経営を生命的プロセスと捉え、「意味や価値」を尺度として評価していく視点が求められるのです。
経営の新潮流マネジメント2.0
いま経営学の分野では、新たな潮流ができつつあります。
リーマンショックが起きる直前の2008年5月に、シリコンバレーの非営利研究機関「マネジメント・ラボ」は、マネジメント・イノベーションを考えるカンファレンスを開催しました。
このカンファレンスでは、現状を打破し、新しい時代を拓くマネジメントはどうあるべきかをテーマとして、主催者のゲイリー・ハメルのほか、ヘンリー・ミンツバーグ、C・K・プラハラッド、ピーター・M・センゲ、ハル・R・バリアンなどの研究者、革新的と呼ばれる企業のCEO、コンサルタントなど、総勢20余名が活発な意見交換を行いました。
その結果、従来の「マネジメント1.0」というパラダイムをシフトさせる「マネジメント2.0」に向けた25の課題が提唱されました。
- 経営陣がより次元の高い目的を果たす
- コミュニティ重視の姿勢や企業市民としての自覚を、マネジメントに深く根づかせる
- マネジメントの哲学的土台を再構築する
- 従来型の階層制の弊害を取り除く
- 信頼関係を深め、不安を和らげる
- 管理手段を刷新する
- リーダー層の仕事を問い直す
- 多様性を高め、活用する
- 戦略立案プロセスを改め、創発を促す
- 組織の脱構築と分解
- 過去のしがらみを断ち切る
- 参加型の手法を用いて組織の方向性を決める
- 全体を俯瞰する業績尺度を設ける
- 大局観の下、長い将来を見据えてマネジメントを行う
- 情報をできるだけ広く共有する
- 変革に前向きな人に権限を与え、後ろ向きの人からは権限を奪う
- 社員の裁量の幅を広げる
- アイデア、才能、経営資源の社内市場を設ける
- 意思決定から駆け引きを排除する
- 二者択一的な発想を捨てる
- 人材の想像力を解き放つ
- 情熱溢れる組織をつくる
- 社内外両方の力を動員できるよう、新たなマネジメント手法を考案する
- 人々の心をつかむ言葉と慣行を用いる
- マネジャー層の発想に新風を吹き込む
一つ一つの項目を見ただけでは、意味が分かるような分からないような内容かもしれません。
興味のある方は、ハバード・ビジネス・レビューの以下の記事を参照してください。
参考リンク▼
新時代に向けた25の課題 マネジメント2.0
ただし、細かい話は脇に置いて、以下のことだけ理解すれば、ここでは十分です。
これまでのマネジメント1.0においては、ものごとを達成する道筋をタスクの積み重ねと見なして、分業によって遂行しようとして来たが、これからのマネジメント2.0においては、個々の目的と意思に基づく主観的な行為の連携によって経営を成り立たせていくという考え方に変化してる。
マネジメント2.0に限らず、昨今の傾向として、従来の資本主義経済の反省のもとに、いくつかの新たな考え方が生まれて来ています。
他人の利益のためにだけに仕事をする信任(Fiduciary)を核としてフィデュシャリー・キャピタリズム、道徳や倫理を尊重するエシコノミー(Ethics=倫理とEconomy=経済の合成語)、利益より目的を上位に置いた理性的資本主義(コンシャス・キャピタリズム)などです。
それぞれの考え方の詳細な内容と違いを学ぶ意義はありますが、そのとき最も大切な視点は、枝葉末節にこだわるのではなく「なぜ、このような考え方が出てきたのかという理由」を考えることです。
つまり、『「経営においては、利益をあげるための手段よりも、目的が重要だ」という考え方が、何を「目的」にしているか?』ということが、より重要なのです。
なぜなら、直接的な営利の追求が壁にぶつかったから、急がば回れで、社会的貢献とか人間の幸福を目的とした経営に変えた方がいいというのでは、同じ「目的」のために「手段」の変更をしているに過ぎず、アインシュタインが語った「手段の完璧さと、目的の混沌さ」という状況から一歩も前に踏み出せていないことになるからです。
ビジネスを目的としないインフォシス・テクノロジー社
インド最大のソフトフェア会社であるインフォシス・テクノロジーの創業時のエピソードがあります。
1981年ムンバイのアパートの一室で、創業メンバーである6人のエンジニアが集まり、リーダーのN.R.ナラヤナ・ムルティが皆に問いかけました。
「新会社を起ち上げるにあたり、ビジョンが必要だが、どんなものがいいだろうか?」
メンバーから、つぎつぎと意見が出ました。
「インドで一番大きなソフトウェア企業になる」
「インドで一番大きな雇用を生み出す企業になる」
「インドで一番時価総額が大きな企業になる」
全員の意見が出揃ったところで、ナラヤナ・ムルティがこう呼びかけました。
「インドで最も尊敬される企業になろう!」
これがインド最大のソフトウェア企業であるインフォシス・テクノロジーのスタートアップの物語で、同社が実現を目指す「目的」となりました。そして当然のことながら、ナラヤナ・ムルティは「企業の目的は、ビジネスを行うことではない」と語っています。
インフォシス・テクノロジーについてもっと知りたい方は、以下のハーバード・ビジネス・レビューの記事を参照してください。
参考リンク▼
価値観を成長の源泉とする インフォシス:尊敬される企業を目指して
インフォシス・テクノロジーは、創業のときから「企業の目的とはなにか?」に真正面から向かい合い、その「目的」を営利に置きませんでしたが、結果的に規模や利益という従来の尺度においても成果をあげています。
ただし、彼らにとって「尊敬される企業」という目的は、「儲かる大企業をつくるための方便」ではありません。この事例を、これまでの視点でベストプラクティスと見るのは間違いです。
時代遅れな「プロ経営者」の存在
さて、このように見てくると、「プロ経営者」という概念自体が、ずいぶんと旧時代の遺物であることに、嫌でも気付くはずです。
企業が曲がり角を迎えたり、崖っぷちに追い込まれるのは、「やり方」を間違ったり実行の効率が落ちたりしているという共同幻想が、プロ経営者の登場を心待ちする土壌になっています。
でも、本当の原因は、企業が目的を見失ったり、目的を誤っていることの方がはるかに多いのです。
そのようにエイジングされた企業に真に必要なことは、企業経営を生命的プロセスと捉え、「意味や価値」により評価していく視点へのコペルニクス転換なのです。
生命論パラダイムにおいて、未来はまだ決定されておらず、この未来を決定するものは、まず何よりも「想像力と創造力」を駆使して描き出す未来に関する「未来シナリオ」です。
その創造的未来の実現に向けて、「構造」とは、刻々と生成し、発展し、進化し、消滅していくダイナミックな「プロセス」を、ある時点で切り取ったときの「静的な断面」に過ぎません。
したがって、これからの経営においては、構造そのものを問題にするよりも、その構造の深層に存在する運動のダイナミックな「プロセス」こそ重要なのです。
「プロ経営者」を超える「リアル経営者」を目指せ
そして、未来シナリオを語るときに重要なことは、「言霊」です。
言霊とは生命力を持った言葉です。その言葉を聞くことによって、想像力がかき立てられ、新しい価値の創造が促されるような言葉です。
経営者が深く理解しておくべきことは、「言葉が世界を創る」ということです。
すなわち、経営において「未来」を語るということは、「予測」を語ることではありません。
それは、なによりも「意思」を語り、「希望」を語り、「夢」を描くことです。
この経営者の役割は、プロ経営者の守備範囲ではありません。
表面的には美辞麗句で飾られていても、本音では利益をあげることを目的としたビジョンは本当の共感を生み出しません。
そのビジョンは、何のためなのか、誰のためのものなのか。
「どんなビジョンなのか」ということ以前に、「なぜそのビジョンを掲げるのか」という理由こそが重要なのです。
このことに気付き実践していく経営者こそが、これからの時代に求められる本物の経営を実践する経営者、プロ経営者に代わる「リアル経営者」なのです。