舛添要一都知事の釈明会見に大多数が納得できていない事実

東京都の舛添要一氏が、都知事就任前の参議院議員時代に政治資金を個人的に流用したのではないかという疑惑が、『週刊文春』で報じられました。

 

この報道を受けて、舛添知事は5月13日の定例会見で経緯を説明しました。

 

しかし、この釈明会見は火消しにならずに、かえって火に油を注ぐことになりました。

 

いくつかの機関が、さっそくアンケート調査を実施していますが、軒並み「納得できない」「都知事に相応しくない」という意見が圧倒的という結果になっています。

 

例えば、BLOGOS編集部が、舛添都知事の説明について納得できたか否か、読者にアンケート((回答期間:5月13日〜5月16日、回答総数:17402票)を実施した結果は、以下のとおりです。

 

blogs chousakekka

(画像出典:BLOGOS)

 

回答結果は、「納得できた」(330票)が2%、「納得できない」(16758票)が96%、「わからない」が2%(326票)ですから、ほとんどの読者が納得できていないと思っていることになります。

 

私も、この釈明会見を見ましたが、「なんともしょぼいな」という感想を持たざるをえませんでした。

 

なぜ、私たちの多くは、今回の舛添要一氏の申し開きに納得できない気持ちになるのでしょうか?

 

報道各社は、事件をセンセーショナルに書き立てていても、この肝心な理由についてしっかりした説明をしていません。

 

でも大切なことは、舛添何某(なにがし)がどんなことをしでかしたかではなく、この一件を他山の石として、何を学ぶかです。

 

今回、舛添都知事が行った政治資金流用疑惑への釈明会見がスッキリしない理由を探ると、企業経営と倫理に結びつく気付きが得られるはずです。

 

自然法と実定法

私は、法学部法律学科の出身ですが、法学の徒が最初に学ぶことは、六法全書に記載されている細かな条文の解釈ではなく、「法とはなにか?」についてです。

 

昔取った杵柄で、「法とはなにか?」について、簡単におさらいします。

 

そもそも法には「自然法」と「実定法」があるとされています。

 

 自然法とは国家などが法を制定する前から自然に存在するとされる法であり、 自由権、平等権などの自然権を保護するものです。

 

一方の実定法は、国家などによって定められた法です。

 

人間の歴史を紐解くと、先ず自然法が存在し、その後実定法が生まれてきた順序となり、人聞の社会生活は実定法の規律による以前に、自然法の規律に服していると考えられています。

 

したがって、自然法の立場からは、人間が作った法である実定法が自然法と矛盾し、相反する場合、その規範的拘束力が否定されて然るべきと考えます。

 

つまり、法学の世界では、実定法に対する正・不正を判定するための価値基準・尺度として、または実定法が存在しうる効力根拠として、自然法という絶対的正義を確立し、体系化しようとする試みが、古代ギリシア以来おこなわれてきているのです。

 

これ以上法哲学談義を膨らませると、横道へ逸れるので、平たく言い替えてみます。

 

法律は、どんな法律でもそうですが、常に現実を後追いすることしかできません。時代が変化したり、社会の構成メンバーが変われば、古い法律は新しい世界を制御できなくなる宿命です。

 

だから、現実の社会をより良く運営していくためには、法律の文言が曖昧に定義している法の網の隙間を、人間の「常識」と社会の「倫理」で埋めていく必要があるのです。

 

舛添都知事の釈明がイケていない理由

舛添要一都知事が定例会見で語った釈明内容は、以下の記事に全文掲載されています。

舛添要一氏「説明責任は果たした」 週刊文春報道で謝罪【会見詳報】(2016.5.14 The Huffington Post Japan)

 

彼の語る言葉の中に、「法律的に問題がないと考えている」という表現が何回も出てきます。

 

確か、海外出張におけるスィートルーム宿泊やファーストクラス使用を正されたときにも、「規定に従っており問題はない」という表現をしています。

 

ここで舛添都知事が言うところの「法律」や「規定」とは、「自然法」のことではなく「実定法」である政治資金規正法や東京都の条例のことを指していることは間違いありません。

 

裏を返すと、実定法に照らして問題の有無を精査した結果を語っているに過ぎず、実定法の上位に存在する自然法に照らして自らの行為を評価する部分が皆無なのです。

 

特に政治資金規正法は、「ザル法」というキーワード検索で真っ先に表示されるほど、実態と乖離した穴だらけの法律です。

 

東大で政治学科とはいえ法学部に在籍し、その後教官を務めたほどの頭脳明晰な舛添要一氏が、自然法と実定法の違いや、政治資金規正法のザル法度合いを知らないはずはありません。

 

しかも、東京都という巨大な地方自治体の行政を司る立場の人間は、法律に従うだけではなく、その隙間をいかに善良に埋めていくかにおいて手腕が問われているはずです。

 

それにも関わらず、「法律に違反しなければ、何ら問題はないでしょう」と強弁している姿に、多くの人が納得できない気持ちになる原因があります。

 

たとえば、これがスポーツやゲームの世界の中の話なら、舛添都知事の釈明は批判されることはないでしょう。

 

ルールに違反しない限り、勝利のために何でもするという姿勢は、褒められこそすれ貶されることはありません。

 

それでも、スポーツの世界でも暗黙のルールはあります。

 

  • サッカー:ピッチ内で選手が倒れたら主審の笛を待たずにボールを外に蹴り出す。
  • 卓球:11-0でゲームを取らずに、各ゲームで最低1ポイントは相手に取らせる。
  • 野球:メジャーでのアリントンルール

 

それにしても、スポーツの試合では、ルールの範囲内でいかに敵の裏をかき、どうやって審判の目をごまかすのかを競い、その詐欺的な手練手管を含めて楽しむのが流儀なので、ルールの範囲内であればどんなことをやってもかまわないことに異論はありません。

 

しかしながら、政治はゲームではありません。同様に、ビジネスもゲームではありません。

 

だから、政治やビジネスといった現実の世界における生身の人間のやりとりは、必ずしも「ルールの範囲内であれば何をやってもかまわない」というゲームの原理だけで動かしてはいけない、ということです。

 

むしろ、リアルな現実世界を動かしている原則は、ゲームの場合とは逆です。

 

現実世界を支配している原理は、必ずしも法律だけではなく、最初に倫理なり道徳があって、それを実現するために法律が定められるという順序でできあがっているのです。

 

舛添要一氏ほどの頭脳の持ち主であれば、当然このような世の中の真理を知っているはずです。

 

それにも関わらず、法律や条令を盾に言い訳をしている姿に、多くの人が反感を持っているというのが真相でしょう。

 

だが万が一、「そのような現実世界の”機微”はあずかり知らない」と舛添氏が抗弁するなら、そんな粗忽者は、東京都の知事という要職を務めるに値しないので、即刻身を引くべきです。

 

ビジネスにおける「自然法」とは

ビジネスの世界には、当然いくつもの実定法があります。商法、会社法、労働着準法、法人税法・・・

 

こうした実定法に抵触しないように経営の舵取りを行うことは当然のことですが、実定法を犯さなければ何をしてもいいのがビジネスなのでしょうか。

 

もちろん、きれいごとだけではビジネスは上手くいきません。第87話:「経営に終わりはない」の本当の意味とは~経営のネクスト・ステージを考えるの中で話をしたように、会社組織である以上、利益を最大化するという目的だけは変えようがないのは事実です。

 

でも、「利益を最大化することを目的とする」ということと、「利益を最大化するためには、現行の法律に抵触しない限り何をしてもいい」ことは、必ずしもイコールではないはずです。

 

  • 残業代が増えるのを嫌って、全社員を管理職にする飲食店
  • 租税回避地を使って、極限まで税負担を減らす商社
  • 有名ブランドの新作商品を微妙にアレンジした廉価品を作るメーカー
  • 新規契約獲得には熱心だが、請求がないのをいいことに保険金支払には消極的な保険会社
  • 解除条項を盾に、貸し剥がしをする金融機関

 

実例をあげたら切りがないように、世の中のビジネスにおいては、「利益を最大化することを目的」として、違反ギリギリのところで打たれる手が何とも多いのです。

 

でも、舛添要一氏の申し開きには96%の人が「納得いかない」としています。

 

ここまでの話で明らかにしたように、「納得いかない」理由は、実定法の遵守を盾にして、自然法の要求に対して無頓着だからです。それは正常な感覚だと思います。

 

それにも関わらず、自らのビジネスに、その健全な感覚を活かさなければ、単に「他人厳しく、自分には甘い」舛添要一氏と同じ穴の狢になってしまいます。

 

そのためには、ビジネスを司る経営者であれば、「利益を最大化する」という原始的な目的だけに留まることなく、ビジネスにおける自然法が求めることは何なのかについて考えを及ぼし、具体的にそれが何かを明らかにするプロセスに果敢に取り組む必要があります。

 

先ずは、法律の条文には記されてはいないけれど、社会的な存在として期待されている貢献について明らかにすべきでしょう。

 

その後に、自分の会社ならではの「譲れない原則」「守るべき掟」などについても、必ず見出していかなければなりません。

 

「利益を最大化する」という裸の目的だけしか持たない企業は、何でもありの世界に突入するために、一時は好調であっても、手痛いしっぺ返しを受けることで、利益の最大化に失敗するだけではなく、企業の存続すら危ぶまれる事態へと追い込まれます。

 

経営においては実定法を理解するのは「イロハのイ」に過ぎません。

 

優れた経営を実現するために必要なものは、実定法が定めていない隙間を埋める経営における「自然法」のごとき「倫理」や「大義」なのです。

 

経営者としてあなたは、どのような「自然法」に従っていますか?