マスメディアとSNSの影響力が強い社会

2月14日のM6.5は前震に過ぎず、2日後の16日にM7.3を本震とする熊本地震が起きました。

テレビ・新聞などでは、連日この地震の話題一色に染まっています。

大事件や大災害が起きたると、一つのテーマに集中してこれでもかと報道をするけれども、熱が冷めるのは早く、2週間もすれば次のテーマへとその矛先を変えていくマスメディアのこうした姿勢は、今にはじまったことではありません。

当のマスメディアに言わせれば、「視聴者や購読者のみなさんが望んでいることを伝えているまでだ」ということなのでしょう。

最近では、新聞やテレビなどのマスメディア以外に、Twitter・Facebook・BlogといったSNSもメディアとして加わって、一つの出来事に対して、ものすごい量の情報が発信される状況になっています。

などと自分のことは棚に上げてはいけませんね。今回、このコラムでも「熊本地震」というキーワードを冒頭で取り上げているわけですから、私もメディアとして末席をけがしていることに違いはありません。

そこで今回は、企業経営が立脚している現代社会を洞察するという目的で、メディアと経営というややスィートスポットが広いテーマを取り上げます。

さて、一般にメディアの本質は、「情報の伝達」だと言われていますが、さらに「情報の伝達」の目的を考えると、「意味の伝達」ということになるはずです。

たとえば、男性が女性に向かって、「お美しい」と声をかけたとします。

でも、単に「美しい」という情報を伝えたいからではないでしょう。実は、「私はあなたに気があります」という意味を伝達していることになります。

さらにもう一歩踏み込んで考えると、「だから、あなたも私に関心をもって欲しい」という「意図を強制」しているのが、言葉という情報発信の本質なのです。

つまり、言葉の本質とは「影響」です。

先ほどの例のように、男性が女性に向かって「お美しい」とか「可愛い」とか言うと、下心が見え見えになってしまいますが、ニュースというかたちで「事実」として報道された「言葉」に対して、私たちは「意図の強制」が行われていることに気づきません。

私たちはテレビのニュース番組や新聞・雑誌の記事を見るとき、ついその内容を客観的事実だと考えがちです。

困ったことに、報道に携わっている側が、自分たちは客観的事実を伝えていると固く信じているので、話はますますややこしくなります。

けれども、ここは「事実を客観的に報道することは不可能だ」という厳しい現実を直視する勇気を持ちましょう。

報道では、事件・事故などの情報を流し、「意味の伝達」をしているように見えますが。私たちにもっと大きな影響を与えています。

それは、「ここで取り上げている事件・事故は、みなさんにとって重要なことです」という「意図の強制」が行われているからです。

最近では、報道のほかにTwitterでのリツイートの回数が多い投稿や、Facebookでイイネの数が多い投稿にも影響力が出始めています。

そういう目立った投稿は、結果的にマスメディアが取り上げることで、影響力が二重に生産されるようになったところが、一昔前と比べると様変わりした言えます。

新聞・テレビ・ラジオ・SNSというメディアの種類が豊富な今の世の中は、まさに高度情報化社会です。

ただし、高度情報化社会を「情報の種類と量が多い社会」と読み替えると、勘違いをしていることになります。

たとえば、今回の熊本地震について言えば、大量の客観情報が出回ってはいません。

各種メディアを通して送り出されている情報は、無尽蔵な大災害の解釈や感想に過ぎません。

客観的情報という意味で厳密にふるいに掛ければ、地震の場所・大きさ・発生時刻、被災者の種類・数・場所、倒壊した家屋・構築物、交通機関の運行状況、避難場所・・・といったデータに限られるはずです。

しかし、マスメディアは、この災害の上記データを報道するだけでは済みません。

「今回の地震発生のメカニズムは?」

「支援物資が全員に行き渡らない原因はどこにあるか?」

「想定外としていたために被害が拡大した責任は誰にあるのか?」

「避難場所で過ごす方々はどんな気持ちでいるのか?」

「評論家や有名人は、どんな感想を持っているのか?」

・・・・・・・・・

こうしたテーマには、客観的な事実というものがありません。あるのは、人それぞれの感想や解釈に過ぎないのです。

そして、それらの感想や解釈をさらにスタジオのコメンテーターが聞いて、自分の意見を語るというありさまです。

情報の量として分別すると、大ざっぱに見積もって客観的事実3割に対して、感想や解釈が7割というところでしょう。

しかしここで言いたいのは、「与太話が垂れ流されていてけしからん!」という文句ではなくて、マスメディアからの情報の中から事実とそうでないものを選り分けて受信することの大切さです。

同時に、いま私たちが身を置いている高度情報化社会とは、有用な情報の量が豊富な社会ではなく、一つの事実(=情報)に対する無数の解釈が流通する社会だということを知る必要があるのです。

 

ビジネスにおける情報発信

さて、ここまでの話では、マスメディア批判がしたかったのではなく、高度情報化社会の現実を冷静に把握することが目的でした。

企業活動においても、情報発信の重要性が高まる一方であることに異論はないと思いますが、土台となっている社会の状況は、こんな感じなわけです。

では、企業が情報を発信するに当たっては、なににどのように気をつければいいのでしょうか。

「重要なのは、客観的事実をきちんと伝えることで、自社の解釈は不要である」ということになるのかというと、そうではなく、むしろ正反対になります。

報道では、客観的事実が重要で、その解釈は不要とは言わないまでも二次的な情報でしたが、土俵が一般のビジネスになると、情報の主従が逆転すると考えています。

客観的事実だけで示されるモノは、「製品」に過ぎません。

製品とは、物体そのものを指しますが、そこに解釈がくっついて「商品」になります。

つまり、「製品」というミニマムな価値に解釈という価値が加わって、立派な売りモノになるということです。

考えてみると、おかしな状況です。

本来は客観情報を適切に提供するのことが本分のマスメディアが、盛んに解釈に関わる情報を流しています。

一方、客観情報に留まらず解釈に関わる情報を的確に発信することでビジネスが成立するはずの企業サイトでは、無味乾燥な事実の羅列しかされていないことの方が多いのです。

これでは、やっていることがあべこべです。

話を元に戻すと、企業が発信すべき解釈とは、開発に当たっての作り手側の思いであるとか思想であるとか、その商品がどのような形で生活の中で新たな楽しみや喜びを生み出すかというビジョンであるとかを指します。

でも最近では、自ら発信している情報は、自分に都合が良いことだけ書いているポジション・トークだと疑うことが情報リテラシーの高さとされているので、そのまま鵜呑みにする人ばかりではありません。

だから、マスメディアに記事として取り上げてもらおうとか、エンドユーザーにブログや口コミサイトで感想を書いてもらうとかして、「他人の口をもって言わしめること」で信憑性を高め、抵抗を受けずに解釈を相手方へ届けるというやり方が出てきました。

記事広告、芸能人のブログでの商品紹介、食べログ、Amazonレビューなどが身近な情報になっているのは、こうした時代の背景があるのです。

ところが今度は、情報操作が過剰になって、ウソとかヤラセのような質の低い情報が、相当紛れ込むようになったのは、ビジネスの世界も報道の世界も似通っています。

今回の熊本地震でも、「動物園からライオンが逃げた」とか「イオンで火災が発生した」という、本来事実に属する情報についてデマが流布して、大手メディアも報道するという失態を演じました。

また、Amazonのレビューを見ると、レビュー数が数件しかなくて、しかも全て無条件にベタ褒めの5つ星レビューが並んでいるのを目にすることがあります。

事実と解釈という情報の2つのタイプの見極めのほかに、「真実」と「ガセ」という別の目利きをする必要があるわけですが、後者の方の難易度は相当に高く、あっさり騙されるリスクが常につきまといます。

このように、「情報」と言っても、常に「事実」と「解釈」の二種類が存在して、受け手のときはその見極めを適切にすること、反対に出し手になったときはその使い分けを効果的に行うことの必要性がビジネスにおいても生活においても極めて高まっているのです。

特にビジネスで出し手の立場になるときは、自社の解釈としての情報を、真実味を持って伝えられるかという取り組みが大切で、そこがうまく行っている企業なりブランドは成功しています。

そのための細かいスキルについては、世の中の専門家の方が有益な情報を提供しているので、そちらに譲るとして、最も重要なことは、高度情報化社会の性質と二種類の情報の存在という事実に対して自覚的になるという最初の一歩を踏み出すことです。

最後にひと言。

このコラムを最後まで読まれた律儀で賢明な読者の方は、もうお気付きのことと思いますが、もちろんこのコラムも、ほぼ解釈によって成り立っている極めて高度情報化社会っぽい情報なのです。