正反対な「法人」と「人」の望ましい姿

突然ですが、あなたは、こんな友達を持っていますか。

 

  • お金が大好きで、お金を儲けることにしか興味がなく、無駄な出費は一切せず、買い物をする時は極限まで値切り倒す。
  • 人付き合いは、自分にお金をもたらすかどうかだけで判断し、利益にならない人はしか相手にしないが、状況が変わると手のひらを返すように切り捨てる。
  • 何か問題が起きると、「遺憾である」などという意味不明な言葉は口にするけれど、なるべく自分の責任を回避して、他人に罪をなすりつけようとする。
  • 自己主張が強く、他人の話は聞かず、相手を押しのけてでも自分のアピールをする。

 

彼は、お金というものに執着するあまり、お金こそが人生の目的と幸福を量る指標である強度の守銭奴であり、同時になりふり構わない上昇志向の持ち主です。

 

彼を説得して、この世にはお金以外の価値もあるのだということを理解させるのは、無謀な試みでしょう。

 

おそらく、こんな性悪な友達に持つ人はいないだろうし、仮に目の前に現れたら避けて通るはずです。

 

ところが不思議なことに、株式会社という法律で定められた人格である「法人」になると、前掲の4つの特徴を持つ会社が望ましいとされます。

 

しかも、この法人の忌むべき性格に対して、誰も根本的な疑いをさしはさむことがありません。

 

でも、それも致し方ないことです。

 

なぜなら、前掲の4つの特徴とは正反対の、人間同士の付き合いであれば、ぜひとも友達になりたいと思うような性格の会社を想像してみてください。

 

  • お金に執着心がまったくなく、最低限の稼ぎで満足して、困っている人を見かければ無条件に相談にのり、救いの手を差しのべる。
  • 相手が貧窮していれば、自分の少ない手持ちのお金をすべて与える気風の良さを持つ。
  • 他人の不始末でも自分の責任として背負う。
  • 生きとし生けるものに愛を注ぎ、いつも控え目でありのままの現実を喜んで受け入れる。

 

これが会社だったら、そもそも長生き出来ません。

 

たまたま生き延びていたとしても、投資家目線で見れば、まさに金をドブに捨てることになるので、資金を投下しようとは、決して思わないでしょう。

 

どこまでも強欲で、競争相手を叩き潰すエネルギーに溢れ、儲け話には鼻がきいて、自社のリスク回避のためには万全の対策を講じる用心深さがあり、自信満々の自己を演出できるような会社こそが、投資家にとって魅力的な会社のはずです。

 

そして、それは世間における優れた会社の条件でもあるのです。

 

利益の最大化を目的とする企業と同質性のマネジメント

つまり、企業という共同体は、利益を最大化することという唯一無二の目的をアプリオリに与えられている存在なのです。

 

世の中には個性を持った企業がたくさんあります。

 

理念やミッションを行動規範に落とし込んだクレドを作って毎日唱和する会社や、CSR(企業の社会的責任)として環境問題に情熱を傾ける会社があります。

 

社員をお客様さながらに大切に扱う会社もあれば、社員を奴隷さながらにこき使うブラックと称される会社もあります。

 

短期的な視野のなかで、現在価値の最大化を図る会社もあれば、長期的な展望を持ち、文化や基礎的技術の充実に力を入れている会社もあります。

 

でも結局のところ、会社の戦略や哲学といったものは、経営者が代われば容易に変更されるし、いったん危機に陥れば背に腹はかえられない非情な施策がとられます。

 

どのような経営スタイルをとるかは、経営者の性格や資質のほか、財務などの内部環境、市場や競合などの外部環境によって変化せざるを得ません。

 

それでも、利益を最大化するという目的だけは、会社である以上変わりようがないのです。

 

ただし、その目的を達成する方法は不変と言うわけにいかず、ここに来て変化が求められています。

 

これまでは、同質の人材を集め効率を高めることで利益を生み出すマネジメントが主流でした。

 

この同質性のマネジメントは、ワールドワイドに拡大する市場の存在を前提として成立していました。

 

しかし、中国の経済成長が一段落し、世界を見渡すと、残りのフロンティアはインドとアフリカ諸国という状況になってくると、ハンドルを直進に保ったままアクセルを踏み続けていると、崖下に落ちてしまう危険に多くの経営者が気付き始めました。

 

利益の最大化のために求められる正反対な多様性のマネジメントへの転換

そこで、ニーズに応える以上に新たなウォンツを喚起する付加価値戦略に舵を切ろうと考えると、効率を追求して拡大再生産を続けるために有効だった同質性を捨て、価値観が広く分布した人材を組織に包括するための多様性のマネジメントが必要になってきたのです。

 

しかし、会社の本来の目的である利益の最大化は変わっていないので、多様な価値観を持つ人々の目的や社会全体の目的とも、一致することもあれば一致しないという問題解決の緊急度と重要度が一気に高まっています。

 

これまでの同質性のマネジメントも決して簡単なことではありませんでしたが、多様性のマネジメントの方がはるかに難しいのです。

 

その理由は、法人が唯一の目的しか持たない一方で、人間が多様な目的を持つことにより、目的において完全集合となり得ない会社と経営者(さらには社員を含めたその他のステークスホルダー)との間に横たわる相克に向かい合う必要があるからです。

 

しかも、この課題には唯一の正解がないために、効率的にゴールに到達する従来的な発想が通用せず遂行的な取り組みになる点においても、改革プロセスに大きな変化が生じてきます。

 

これまで効率を重視するために、経営者は、ビジネスの現場で原理的な人間の方は見えていないか、あえて見ないようにしてきました。

 

その結果、ビジネスの現場は、原理的な問いを避けながら営まれていた。そのこと自体が、ビジネスの解きがたい問題を生んでいます。

 

だから、企業の偽装や手抜きが後を絶たないのも、ブラックと呼ばれる企業がなくならないのも、企業の内部に原因があり発生している問題と捉えている限り、解決策を導き出すことは不可能です。

 

また、企業の永続的繁栄を望んでみても、「法人」と「人」の相克を避けて通っては、希望の地にたどり着くことは出来ないでしょう。

 

  • どこまでいっても、企業とは、自らの振る舞いを金銭でカウントして、評価するシステムであるということ。
  • 企業はどうあるべきかというところにあるのではなく、企業というものが本来的に持っている限界についての認識を自覚し共有すること。

 

このことが、多様性のマネジメントに一歩踏み出すための入口になります。

 

ジョエル・ベイカンは著書『ザ・コーポレーション』にて、「企業とは病的な機関であり、人間と社会に対して大きな影響力を持つ危険な存在である」と語りました。

 

なぜなら、人間は自分が作り出し支配していると思っている企業によって支配されるというパラドックスの中で生きているからです。

 

最近にわかに人気ワードになっている「働き方改革」とは、単に人手不足解消のために性別・国籍・年齢・雇用形態の多様性を高め、それをコンクルージョンしていく取り組みだとか、働き手の労働衛生改善のために残業を減らす取り組みだとか考えている人が多いのですが、間違いではないにしても問題のとらえ方が極めて浅いと思います。

 

人材の多様性を高めコンクルージョンしていくことは、企業が価値創出の源を変化するために避けては通れない関門なのです。