2つの「人」-法人と人

突然ですが、あなたは、こんな友達を持っていますか。

 

  • お金が大好きで、お金を儲けることにしか興味がなく、無駄な出費は一切せず、買い物をする時は極限まで値切り倒す。
  • 人付き合いは、自分にお金をもたらすかどうかだけで判断し、利益にならない人はしか相手にしないが、状況が変わると手のひらを返すように切り捨てる。
  • 何か問題が起きると、「遺憾である」などという意味不明な言葉は口にするけれど、なるべく自分の責任を回避して、他人に罪をなすりつけようとする。
  • 自己主張が強く、他人の話は聞かず、相手を押しのけてでも自分のアピールをする。

 

私なら、こんな人物とは付き合いたいとは思いません。

 

それでも執拗に関係を迫られてきたら、出来るだけの言い訳を考えてお断りするでしょう。

 

もちろん、間違っても一献を傾けようなどという酔狂をしないはずです。

 

彼は、お金というものに執着するあまり、お金こそが人生の目的と幸福を量る指標である強度の守銭奴であり、同時になりふり構わない上昇志向の持ち主です。

 

彼を説得して、この世にはお金以外の価値もあるのだということを理解させるのは、無謀な試みでしょう。

 

おそらく、こんな性悪な輩を友達に持つ人はいないだろうし、仮に目の前に現れたら避けて通るはずです。

 

ところが不思議なことに、「法人」という法律によって定められた人格になると、ほとんどの法人は、上述した『クリスマス・キャロル』のスクルージさながら生粋の金銭フェチです。

 

さらに不思議なことに、誰しも、この法人の忌むべき性格に対して、根本的な疑いをさしはさむことがありません。

 

でも、それも致し方ないことです。

 

仮に、これとは正反対の、人間同士の付き合いであれば、ぜひとも友達になりたいと思うような性格の会社を想像してみてください。

 

  • お金に執着心がまったくなく、最低限の稼ぎで満足して、困っている人を見かければ無条件に相談にのり、救いの手を差しのべる。
  • 相手が貧窮していれば、自分の少ない手持ちのお金をすべて与える気風の良さを持つ。
  • 他人の不始末でも自分の責任として背負う。
  • 生きとし生けるものに愛を注ぎ、いつも控え目でありのままの現実を喜んで受け入れる。

 

これが会社だったら、そもそも長生き出来ません。

 

たまたま生き延びていたとしても、投資家目線で見れば、まさに金をドブに捨てることになるので、資金を投下しようとは、決して思わないでしょう。

 

どこまでも強欲で、競争相手を叩き潰すエネルギーに溢れ、儲け話には鼻がきいて、自社のリスク回避のためには万全の対策を講じる用心深さがあり、自信満々の自己を演出できるような会社こそが、投資家にとって魅力的な会社のはずです。

 

そして、それは世間における優れた会社の条件でもあるのです。

 

企業の根源的な目的とは

人間がオンリーワンであることの大切さが叫ばれるなか、法人としての企業もさまざまな個性を出すことが、経営においての重要な課題となっています。

 

理念やミッションを行動規範に落とし込んだクレドを作って毎日唱和する会社や、CSR(企業の社会的責任)として環境問題に情熱を傾ける会社があります。

 

社員をお客様さながらに大切に扱う会社もあれば、社員を奴隷さながらにこき使うブラックと称される会社もあります。

 

短期的な視野のなかで、現在価値の最大化を図る会社もあれば、長期的な展望を持ち、文化や基礎的技術の充実に力を入れている会社もあります。

 

でも結局のところ、会社の戦略や哲学といったものは、経営者が代われば容易に変更されるし、いったん危機に陥れば背に腹はかえられないといった施策がとられます。

 

どのような経営スタイルをとるかは、経営者の性格や資質のほか、財務などの内部環境、市場や競合などの外部環境によって変化せざるを得ません。

 

それでも、利益を最大化するという目的だけは、会社である以上変わりようがないのです。

 

つまり、どんなに服飾や化粧によってモードを身に纏っても、その下には裸の人間がいるように、会社の目的とは、利益を最大化することに尽き、会社にはそれ以外の目的は存在しません。

 

だから、会社の本来の目的とは、そこで働く人間の目的とも、社会全体の目的とも、一致することもあれば、一致しないこともあります。

 

経営の2つのステージ

世の中で経営に携わる者は、経営なんか簡単だと考えている人は少なく、多くの人は「経営は難しい」と感じているはずです。

 

ところが、その「難しさ」を突き詰めて考えている人は一握りに限られます。

 

会社の持つ根源的な目的である利益の最大化をするために、合理的で効率的な経営を実現することだって、決して簡単なことではありません。

 

でも本当の難しさとは、法人が唯一の目的しか持たない一方で、人間が多様な目的を持つことにより、目的において完全集合となり得ない会社と経営者(さらには社員を含めたその他のステークスホルダー)との間に横たわる相克に向かい合うことにあるのです。

 

しかも、この経営のネクスト・ステージとでも呼ぶべき課題には唯一の正解がないために、遂行的な取り組みになります。

 

その意味で、経営に終わりはないと言えます。

 

だからと言って、最初から経営の地平線の彼方を見つめているのは、現実的ではありません。

 

経営の第一段階では、先ず利益を継続的にあげて、黒字にすることに脇目も振らずに取り組むべきです。

 

さらに、必要な人材の集め方と組織の効率的な運営方法や、財務的な視点からビジネスを設計することなど、厳格な試験にパスしたその地位を手に入れたわけではない経営者にとって、修得すべきことは山のようにあります。

 

独学でも経営学修士(MBA)の取得でも、方法は問いませんが、そこでの課題は、法人の普遍的かつ本質的な目的、つまり「利益を最大化する」という目的に合致した範囲に限られていることは忘れないように。

 

とは言うものの、節税対策のために意図的にそうしている会社が含まれているとしても、日本の企業の6~7割が赤字であることを見ると、この第一段階の経営でも相当に難易度は高いことは間違いありません。

 

だから、連続して増収増益でも達成しようものなら、達成感に浸ってしまうのも無理からぬことかもしれません。

 

でも、経営のネクスト・ステージに目を向けることがなければ、一時の栄華を享受することはあっても、例外なく祇園精舎の鐘の音とともに費えていくのです。

 

ただし、一番の問題は、多くの人がこの経営のネクスト・ステージの存在に、そもそも気付いていないということです。

 

なぜなら、ヒトは、ビジネスの現場では、原理的な人間の方は見えていないか、あえて見ないようにしているからです。

 

その結果、ビジネスの現場は、原理的な問いを避けながら営まれている。そのこと自体が、ビジネスの解きがたい問題を生んでいます。

 

だから、企業の偽装や手抜きが後を絶たないのも、ブラックと呼ばれる企業がなくならないのも、企業の内部に原因があり発生している問題と捉えている限り、解決策を導き出すことは不可能です。

 

また、企業の永続的繁栄を望んでみても、2つの「人」の相克を避けて通っては、希望の地にたどり着くことは出来ないでしょう。

 

  • どこまでいっても、企業とは、自らの振る舞いを金銭でカウントして、評価するシステムであるということ。
  • 企業はどうあるべきかというところにあるのではなく、企業というものが本来的に持っている限界についての認識を自覚し共有すること。

 

このことが、経営のネクスト・ステージに一歩踏み出すための入口になります。

 

ネクスト・ステージを目指す経営者の支援

世の中には、経営のファースト・ステージを支援する専門家はたくさんいます。

 

上述したように、その段階ですら、なかなか一筋縄ではいかないものですから当然のことです。

 

でも、法人と人という2つの「人」の相克を自覚し、それを弁証法的に昇華させていく経営のネクスト・ステージにまで視野を広げている専門家は、私の知る限り希少です。

 

それは、経営者にも、ネクスト・ステージを見据えている人が少ないことと、ニワトリとタマゴの関係なのかもしれません。

 

このコラムのタイトルを『黒字経営のその先へ』としていますが、それは経営のネクスト・ステージを意味しています。

 

方法論としては、動的安定経営を提唱していますが、背景には2つの「人」の相克へのチャレンジがあります。

 

ジョエル・ベイカンは著書『ザ・コーポレーション』にて、「企業とは病的な機関であり、人間と社会に対して大きな影響力を持つ危険な存在である」と語りました。

 

なぜなら、人間は自分が作り出し支配していると思っている企業によって支配されるというパラドックスによって生きているからです。

 

だから、経営のネクスト・ステージへの挑戦は、口で言うほど簡単なものではありません。

 

それでも私にとっては、同じくそこを目指す経営者と二人三脚でぜひ取り組みたい課題なのです。