的を外しているショーンK氏に対する賛否両論

週刊文春の記事によって、経営コンサルタントを自称するショーン・マクアードル川上氏が、学歴と経歴を詐称していたことが白日のもとに晒されましたが、彼が公共の面前からいち早く消え去り、雲隠れしたことで、事態はすでに収束しています。

 

こういう事件が起きると、必ず賛否両論が出てきます。

 

批判派の主張は、こんな感じです。

 

 

学歴や経歴の一部どころかほとんど全てを詐称し、出身地や人種まででっち上げたやり方は、でき心とか魔が差したではでも済ますことはできない。

 

実際に、虚構のプロフィールなしては舞い込んでこなかった仕事によって経済的利益を得ていた以上、許しがたい詐欺だと主張します。

 

 

それに対して、擁護派は、こう語ります。

 

 

たしかに嘘で固めたプロフィールで仕事をしていたことは褒められないが、報道番組でのコメント内容は悪くなかった。むしろ、高卒であそこまでのコメントができるということは、ものすごい勉強家に違いない。

 

学歴なんか関係ないじゃないか。今回、潔く謝罪したのだから、冷却期間を置いたら、また返り咲いて欲しい。

 

 

経歴を詐称したから表舞台に立てたのは事実

批判派は、モラールからの視点で主張をしているので一定の説得力があります。

 

一方、擁護派の考え方は、ショーンK氏の実際の能力を評価して、立派な経歴がなくても有能な人材と認めカムバックを期待しています。

 

しかし、経歴も学歴も世間的に見たら大したことはないけれど、実際に話をしてみたら、勉強家だし鋭い話をする人であることに気付くことはよくあることです。

 

でも、そういう市井の賢人の存在は一顧だにされないというのが、今の世の中というものです。

 

テレビやラジオといったマスメディアで露出するチャンスを得るためには、やっぱり「立派な」経歴や学歴が必要なわけです。

 

彼がコメンテーターとしてまともな話が出来ていたかどうかが問題なのではなく、自らが語る場をどういう方法で手に入れたかということが問われているのです。

 

高卒だけれども、エキゾチックな顔立ちと魅惑の低音ボイスで、ちょっと難しい話もこなしちゃう英語が堪能なDJという真実のキャラ設定では、報道ステーションのコメンテーターの仕事は来なかったはずです。

 

そして、「報道ステーションのコメンテーターをしている」実績を買われたからこそ抜擢された4月開始のフジテレビの報道番組のMCの仕事にも繋がらなかったことになります。

 

学歴や経歴よりも人を信用させる決め手になる「稼いでいるイメージ」

でも、ショーンK氏はメディアの仕事を手に入れるために経歴と学歴を詐称した、という結論で終わらせては、モノの見方が浅いことになります。

 

彼の詐称において、最も意味があったのは、経歴でも学歴でもなく「稼いでいるイメージ」だと考えるからです。

 

テンプル大学の学位もハーバード大学のMBAも、ニューヨーク出身のクォーターという出自も、それだけでは意味をなしません。

 

そういうプロフ設定だからこそ、世界6ヶ国7ヵ所に事務所を構える国際的経営コンサルティング会社を運営することができて、年間売上30億円を得ている。

 

この年間売上30億円が、ショーンK氏のストーリーの中で最も重要な要素だと、私は考えています。

 

実際のところ、コンサルティング業で年間売上30億円という数字は、もの凄く稼いでいることを意味します。

 

売上原価がほぼゼロで、後は人件費と事務所の賃料が主たる経費であるコンサルティング業で年間30億円の売上があったとすると、その会社の代表者の年収は、間違いなく億単位になります。

 

つまり、ショーンK氏にとって、一番重要なキャラ設定は、世界を股にかけて多額の稼ぎがあるビジネスマンだという点なのです。

 

そのストーリーに信憑性を持たせるための、学歴であり、人種であり、出身地だと考えるべきです。

 

九州の田舎の高校を出た日本人が、コンサルティング会社を起ち上げ、今や年間30億円の売上を誇る会社のオーナーにして首席コンサルタントだと言われても、誰一人信用しないでしょう。

 

日本人の多くが重視する金銭一元的な価値観を見抜いた眼力

ショーンK氏が作り出した学歴や経歴は、彼の好みや願望から生まれたものではなく、現在の日本人の価値観に寄り添って、自分のキャラ設定を考えたに結果に過ぎません。

 

私たちが、最終的にその人の言動に対する信憑性を高める対象は、学歴でもなければ経歴でもありません。

 

東大卒であろうが、ニートで落ちぶれている人に対しては、「東大出のくせして、何しているんだ」と蔑みます。

 

高い学歴を持ちながら、それを活かして稼げていない人間は、無能の烙印を押されて発言の機会を奪われるはずです。

 

また、かつて複数の会社を経営し多額の報酬を手にしていた人であっても、会社を潰して、いまは清貧に甘んじている人に対しては、「敗軍の将は兵を語るな」と軽んじます。

 

つまり、私たちの多くは、知らず知らずのうちに金銭一元的な価値観に染まっていて、自分自身への評価も他人への評価も、稼ぎの多寡によって行っているのです。

 

「稼いでいる人は偉い。だから、稼いでいる人の言葉は傾聴に値する」

「稼げていない人はダメだ。だから、稼いでいない人の書生論など聞くに値しない」

「稼いでいる私は偉い。だから、薄給の輩に意見などされたくない」

「稼げていない私はダメだ。だから、自信が持てない負け組だ」

 

一般的に私たちの多くは、「なにを言うかよりも、誰が言うか」の方が重要な判断基準で、一部の学者に対しては、その学識の高さに対して敬意を表して、彼らの語る言葉に耳を傾けることはありますが、それ以外の人間に対しては、稼ぎ高によって序列化を図り、傾聴するかどうかの境界線を引いてはいないでしょうか。

 

会社では「そんなたわ言は、ちゃんと稼いでから言え!」と一蹴され、家では「お父さんのみたいな稼ぎの悪いサラリーマンにならないように」と母親が子どもに発破をかけている。

 

一方で、かつて「金で買えないものはない」と言い、その後経済事犯で刑に服した人物は、出所後もマスメディアを通じて自己の言説を展開し続け、しかも聞く耳を持つ人が多いという事実があります。

 

つまり、現代は多様な商品やサービスに囲まれていて、多様な価値が溢れているように誤解している人が多いのですが、実のところ、いまの日本における価値の違いとは、金額の量的な差異でしかないのです。

 

ショーンK氏は、そうした当世事情を的確に見抜いたという意味では、眼力がある人間であると言ってよいでしょう。

 

「場の空気を読む能力の高さ」が嘘の源でありコメント力の源でもある

言い方を変えると、ショーンK氏が持っていた傑出した能力の一つは、「場の空気を読む能力の高さ」なのです。

 

このことについては、日経ビジネスオンラインで小田嶋隆氏が適切な表現をしています。

参考リンク▼
ア・ピース・オブ・警句 『彼にみんなが騙された理由』

 

経歴をそれらしく飾り立てるための能力と、ランダムに発生する事件にそれらしいコメントを添えてみせる能力は、そんなに遠いものではないということでもある。

 

というのも、自分の専門分野と特段の関連もない日々の出来事に事寄せて、凡庸でこそないものの、独特過ぎることもない、最終的に無難なコメントをとっさのアドリブで供給し続けるために必要な資質は、経歴を詐称した状態で世間に対峙している病的な嘘つきが、自分の身辺の細部に散りばめられた大小のウソを、破綻させることなく運営していく中で培ってきた「場の空気を読む能力」とほとんど同じもので、つまるところ、ニュースへのコメントの大きな部分は、擬似的な大衆の反応をパイロットしてみせる感情の偽装みたいなものだからだ。

 

嘘つきは、常に人々の顔色を見ている。

 

誰が自分の言葉に不審を抱き、自分の発したどの言葉が相手にアピールしているのかを、他人を騙すことを生業としている人間たちは、四六時中見極めようとしている。

 

というよりも、日常的にウソをついている人間は、ウソがバレるギリギリのボーダーを常に意識しているわけで、その意味において、空気読みの達人なのである。

 

 

でも、ショーンK氏は、空気読みの達人であるがゆえに、世の中に瀰漫している金銭一元的な価値観に縛られることになり、コメンテーターとしての発言の自由度は狭められます。

 

なぜなら、「世の中には、お金以外に大切なことがある」という含意のコメントを、稼いでいる人(≒稼いでいるように見える人)が語ると、見事に見え透いた「あるべき論」になってしまうからです。

 

ショーンK氏のコメントを聞いて、「まともなことを言っていたと」感じている方は、あなた自身が金銭一元的な価値観に支配された立派な現代人であり、彼は人の顔色をうかがうことに長けているのだから、当然の結果を得ただけです。

 

これまでの価値観を逆転する戦略をとればカムバックは可能かも

さて、ショーンK氏のカムバックについてですが、誰かが語っているような「ハーバードのMBAを正規に取得して出直せ」というやり方は、進化に乏しいという意味で、あまり意味があるとは思えません。

 

学歴や経歴に実態がなかったのが悪いのなら、実際に学位と経歴を積み重ねれば原状回復が図れるという考え方は、世間の空気を読み顔色をうかがっている姿勢を延長させたに過ぎません。

 

もし出直すなら、自分自身も利用していた世の中に横溢する価値観を転覆させる切り口から、舌鋒鋭く意見陳述したらどうでしょうか。

 

「人を見かけや肩書きだけで判断してはいけない」

「ものごとの本質は見極めることの大切さ」

「本当の意味での多様性の価値」

・・・

 

自分自身の持つ経験と資源を最大限活かして、リアリティある言説を述べことは、悪くない戦略だと思います。

 

ただし、テレビやラジオ自体が金銭一元的な価値観を体現する代表的なツールである以上、価値観を常に倒置するような発言を求められてはいません。

 

たまにデッド・ボールを投げるピッチャーは、場を盛り上げる選手になれても、毎回デッド・ボールを投げたり、頭部へ危険球を投げるピッチャーは、そもそも試合への出場機会を得られないので、これまでと同じ席を望んでも手に入れることは難しいはずです。

 

お節介な話かもしれませんが、ショーンK氏がカムバックするためには、先ず自分の立ち位置についての判断が求められることになります。果たして、彼は何を基準にどう判断をするのか。それは、彼のみぞ知るところです。