1 白紙に戻された新国立競技場の建設計画

前回のコラム第48話:計画どおりにいかないワケで、新国立競技場における建設予算の高騰を引き合いにして、そもそも立てた計画がそのとおりにはいかない理由について考えました。

 

その後、新国立競技場に関して新たな展開がありました。

参考リンク▼
安倍首相 新国立競技場の計画「白紙」に戻す(2015.7.15 ロイター)

 

理由に関しては、「コストが大幅に膨らみ、国民やアスリートたちからも大きな批判があり、このままではみんなで祝福できる大会にすることは困難だと判断した」とのことです。

 

たった一つの競技場の建設に、2500億円をかける価値や経済合理性はほとんどないわけで、当初の計画どおりに進めないという判断は妥当と思います。

 

しかし、そのやり方が「見直し」ではなく「白紙に戻す」であることに、経営にも通じるテーマとして思うところがあります。

 

2 ご破算で願いましては・・・好きな日本人

漫画『巨人の星』といえば話中に数々の名シーンがありますが、星一徹がちゃぶ台をひっくり返して星飛雄馬を殴りつけるというエンディングの止め絵をよく覚えています。

 

このちゃぶ台返しという行為は、たいへん日本の文化を象徴していると思います。

 

「ご破算にする」「水に流す」という言葉があるように、これまでのことは無かったことにして、振り出しに戻り一からやり直すことが、日本文化として好まれていることは否めません。

 

政治の世界に目を向けると、2001年に「自民党をぶっ壊す!」というスローガンを打ち出した小泉純一郎氏が人気を博し総選挙で圧勝しました。

 

また、2008年の大阪府知事選選挙で、橋下徹氏は府庁改革のために「府庁解体」を行うことを指して、まさに「ちゃぶ台をひっくり返す」と発言しました。

 

このように政治の世界では、きわめて閉塞的な状況になると、どこからともなく博打打ちが登場して、一か八かの大勝負を始めるという流れが、これまで何回も繰り返されています。

 

さらに政治の世界に限らず、経済活動や企業活動においても「改革」「変革」という言葉は、打ち出の小槌よろしく問題解決のための特効薬のように使われています。

 

だから、ちょっとした壁にぶち当たったとき、私たちはややもすると「根本的変革」を求め、「小手先の手直しではどうしようもない」という重々しい宣言を軽々しく口にしたがります。

 

たしかに、中途半端な手直しをおこなうことが、かえって余計なオーバーヘッドを増やすことになり、結果的に効率の観点からは望ましくなくなる可能性はあります。

 

しかし、現実的には問題を構成するすべての要素がダメということは、ほとんどあり得ません。

 

だから本来は、「ちゃんと機能している部分」と「ガタがきている部分」があるので、その切り分けを適切に行って、ダメな部分については早急な改善を施すけれど、機能している部分についてはとりあえず手を付ける必要はないはずです。

 

百歩譲って、最終的なやり方としては「ゼロベースで白紙に戻す」ことはあるとしても、前段として「ちゃんと機能している部分」と「機能不全を起こしている部分」をきちんと切り分ける作業は必要でしょう。

 

そうしなければ、どんなに大がかりに一からやり直しをしたとしても、同じ轍を踏むリスクを高い可能性で抱えたままになります。

 

新国立競技場について言えば、東京オリンピックの開催というデッドラインがあるために、白紙に戻して計画を立て直すけれども、来年の1月か2月には着工をするというタイムスケジュールだけは発表されています。

 

しかし、わずか6ヶ月しか時間がない中で、同じ失敗を繰り返さないための検証プロセスが適切に実施される時間が含まれているとは思えません。

 

だから、国民の批判をかわすという政治的な目的はある程度達成されたかもしれませんが、白紙に一度戻したからといって、新国立競技場の建設計画がこれから順風満帆に進むとは考えられません。

 

3 ご破算的手法の問題点

英国の哲学者カール・ポパーが『歴史の貧困』の中で、マルクス主義を批判した論旨は、まさにご破算的手法への疑問でした。

 

ポパーは、マルクス主義を社会全体の改造を目指す「ユートピア的技術」とし、漸次的に社会を改良する「漸次的技術(ピースミール・エンジニアリング)」を対置しました。

 

マルクス主義を批判するポパーは、当然「漸次的技術」をよしとする立場をとっていました。

 

私たちの日常の生活においても、使えるものは使い延ばし、消耗部品の交換で直せるところをアッセンブリーに新品に交換することは控えることが、「もったいない」精神の実践につながるだけではなく、結果的に経済合理性も高いと多くの人は考えています。

 

極端な話ですが、医者に行ったら肝臓が悪いと診断されて、「肝臓の治療するより、生まれ変わった方がいいですよ」と医者に言われて納得する人はいないでしょう。

 

でも最近の風潮として、単純にオール・オア・ナッシングで経営全般に限らず制度やシステムなどを評価しがちです。

 

経営や制度に疲労骨折が起きていることが自明なのに、「経営に何ら問題はない」と強弁し、いよいよ崩壊の危機に瀕すると、こんどは「全部リセットします」と誇大なもの言いをする経営トップをよく見かけます。

 

しかし、私自身が仕事の現場で接する企業に対してご破算的手法を適用することは、(そうしたくても出来ないことが多いことも含めて)ほとんどありません。実際の経営においては、ビースミール工学的アプローチを重視せざるを得ないのが現実です。

 

単に青写真だけを描くなら、一見大変そうに見える「変革的」アプローチの方が実は簡単です。

 

なぜなら、ビースミール工学的に取り組むと、先ずどこが機能していて、どこが機能していなかを定量的に判断するという面倒な仕事が発生するからです。

 

でも、グランドデザインを描くだけではなく、その遂行をする段階になるとご破算的手法は暗礁に乗り上げやすく、結局スピードとコストの両面でピースミール工学的手法のパフォーマンスの高さが証明されることが多いのです

 

加えて、組織やシステムを構成している一人ひとりの人間にとって、過去を全否定されて「スクラップ&ビルド」しようという「ユートピア的手法」は、モチベーションを著しく下げる原因になります。

ここにも、ご破算的取り組みの現実的な大きな障害があるのです。

 

小泉純一郎氏の破壊的政治だって、やっぱり上手く行かなかった。橋下徹氏についても然りです。

 

4 ぼちぼち進めることの大切さ

変化のスピードが加速し続ける現代の経営環境においては、変化に取り残されることは企業の死を意味します。だからこそ、経営者は素早く変化をすることを望みます。

 

そのためには、細々とした手続きを嫌い、一気にゼロベースでつくり直してしまえと考えたくなる誘惑が働きます。

 

しかし、「社会を一気によくしようとする」試みは必ず失敗することを歴史が教えています。少数の主人と多数の従順な奴隷たちに二極化して、反抗する人間を片端から粛清できるシステムを用意しなければ「社会を一気によくすること」はできないからです。

 

企業経営においても同じことが言えます。

 

壮大な大義を掲げて、その実現のためには改革、革新、ブレークスルー、パラダイムシフトが必要だと主張して、一から企業を立て直す意気込みを語る経営者がいます。

 

また、専門家の中にも「2ヶ月で驚きの体に!結果にコミットする」というR社の肉体改造プログラムよろしく、短期間で企業の大変革ができますと社長の耳元でささやく方がいます。

 

マスメディアもこぞって変革や改革というスキームをもて囃したがるし、私たち日本人は「ご破算を願いましては」が好きな民族性を持っていますが、「ぼちぼち」進めるという地味なやり方に目を向けることを実務家としては忘れてはなりません。

 

目前の問題が10年かけて生み出されてきたものだとするならば、その解決のためには同じだけの時間をかけて取り組む覚悟がなければ、出来ることは問題点の隠蔽か先送りしかありません。

 

静的安定経営から動的安定経営への進化も、1年でスタートラインに立ったあと、継続的にタスクに取り組んではじめて結果が現れてきます。

 

本当の意味で企業を変容(トランスフォーメーション)させるためには、それだけの覚悟が必要であることを肝に銘じたいと思います。