1 「群れ」ても「似たもの同士」になるな

人間は社会的生き物だから、本質的に群れるのが好きだ。

 

それは、一人でいるよりも集団でいた方が生存戦略上有利に働くという知恵がDNAに刷り込まれているからだろう。

 

人が群れる場合、その群れに属する以上、特定の共通性を求められることになる。同じクラス、同じ町内、同じ趣味、同じ仕事・・・

 

集団は、共通項が1つで繋がっている場合と2つ以上の共通項で繋がっている場合のどちらにおいて、より強い結束力を発揮するだろうか?

 

常識的な見解に従うなら、複数の共通項がある方が結束力が高まることになるが、この考え方は、半分は正しいが半分は危うさを招く。

 

キーワードは、「群れる」ことと「似たもの同士」になることは、似ているようで大きな違いがあるということだ。

 

群れるのはいいが、「似たもの同士」にならないように気配りをすることが、生存戦略上とても重要だ。

 

2 組織づくりをする社長の悩み

群れの一つの形態が「企業組織」である。

 

経営者の多くは、企業組織を構成するメンバーの顔ぶれを考えるとき、必ず同じ課題に直面することになる。

 

それは、お気に入りで固めるか、一言居士をあえて加えるかという悩ましい課題だ。

 

どんな企業でも、社長以上に会社のことを真剣に考えている社員はいない。これは真実だ。

 

だから、社長が三日三晩かけて考えた方針に対して、「そんなことやる意味ありますか?」などと腑抜けた切り返しを役員や社員からされると、精神衛生上たいへんよろしくない。

 

さらに、説得のために余計な時間とエネルギーを使うことになる。

 

そして「まあ、社長がそこまで言うんなら、いいんじゃないですか」というふやけた言葉を引き出した頃には、社長自身の精も根も尽き果てている。

 

その結果、肝心な実行が疎かになっている企業が驚くほどたくさん存在する。

 

笑い話のような話だが、これは事実だ。

 

こんな惨めな状況を、ぜひ避けたいと考えるのは無理からぬことだ。

 

だからこそ現実的には、多くの会社は時間をかけてイエスマンによって固められていくのだ。

 

イエスマンに囲まれた境遇は、社長にとっては居心地がよい。

 

万事ものごとがスムーズに運ぶ。

 

でも、船旅が日々楽しいことが、その船が正しい針路で航海していることを保証するわけではない。

 

3 ところで、なぜ地球上には、これほど多くの「種」が存在するのか?

例えば、アフリカのサバンナには多くの草食動物が生息しているが、生息数上位5番目までの内訳はつぎの通りとなっている。

 

ヌー 偶蹄目ウシ科ヌー属
シマウマ ウマ目ウマ科ウマ属
トムソンガゼル 偶蹄目ウシ科ガゼル属
グラントガゼル 偶蹄目ウシ科ガゼル属
イランド 偶蹄目ウシ科イランド亜属

 

生命の本質について考えた生物学者は、これを「生態学的な棲み分け」という概念で説明しようとした。

 

これを見て分かることは、上位5番目までに「偶蹄目ウシ科」の動物が4種類も入っていることだ。

 

つまり、広い意味では「ウシ」が多いのだが、ヌーとガゼルとイランドでは生態系における地位が微妙に異なるし、行動パターンもやや異なるし、当然食物の嗜好もちょっと違う。

 

ここで、ガゼルだけが好んで食べる草が原因となる伝染病が発生して、ある地域のガゼルが全滅してしまったとする。

 

一方で、ヌーやイランドはその草を食べなかったので罹患を免れたとする。

 

さて、ライオンやチータのような肉食獣にしてみたら、「今日の晩ご飯はヌーかガゼルか」の違いは「今日の晩ご飯は広東麺か担々麺」くらいの違いしかないだろう。

 

だから、ガゼルが全滅してもヌーやイランドがいればエサにはことかかず、とりあえず生態系はバランスを維持することが出来る。

 

生物学者は、種の多様性の根拠をこう考えた。

 

「生命システムでは、似たような機能を果たすファクターの性質や行動には、ある程度のばらつきがあった方が、システム・ダウンのリスクを回避する可能性が高い」

 

4 人間社会で均質化が進むことの危険性

同じ話を人間社会に当てはめてみる。

 

なぜ、全世界的な規模のグローバリゼーションの圧力にも関わらず、これほど多くの国民国家や種族や宗教共同体が地球上に溢れかえり、それぞれの差異を言い立てているのだろう?

 

それは「生態学的棲み分けの多様性」こそが人類の存続にとって必須である、ということを人々がどこか身体の深いところで直観しているからだろう。

 

全人類がエスペラント語を語り、同一宗教を信仰し、世界共通の法律を遵守するようになったら、地球は今より平和で安定した状態になるだろうか?

 

もちろんならないだろう。

 

むしろ、世界のシステムの安定性と永続性は大きな危機に直面することになると考えられる。

 

なぜなら、均質性の高い個体が集中した部分からシステムは崩壊するからだ。

 

だから、部分的に均質化が極端に進行していることが見て取れる場合は、システム崩壊が、どこから始まるかが事前に予測可能になる。

 

例えば国政の場では、山本太郎参議院議員の言動が、国会議員にあるまじきということで問題視されることが多い。

 

2013年の園遊会事件にはじまり、ときに奇行と評される彼の言動は、ニュースネタとして世間をたびたび沸かしている。

 

個人的に彼には全く好意を抱いていない。

 

しかし、与党も野党も政策的な違いに乏しく、金にだけはまみれている均質性に貫かれた国政の場では、そういう人間がいてもいい、という以上に、むしろ山本太郎氏のような「異分子」の存在が必要なのだ。

 

その理由は、均質性が高まること自体が、システムの崩壊を加速するに他ならない。

 

5 多様性を繋ぐ一筋の糸こそが重要

人間は生物である以上、生存のために多様性の大切さにどこかで気付いている。

 

しかし、人間はヒトであるたゆえに「思考する」という他の生物が有しない特権を持つ。

 

そのため人間は、自らが信じることを唯一の正義として振りかざすことで、均質性を求め多様性を排除するというジレンマを抱えている。

 

だから、宗教における争い、政治的な戦いにおいては、妥協点を探すことが目的ではなく、一方が他方を排除することを目指しているのだ。

 

企業活動においても同じことが言える。民主主義が働かない企業統治の世界いおいては、均質性を高めることはむしろ容易いことである。

 

しかしここで、均質性と多様性をトレードオフの関係でとらえる間違いを犯してはならない。

 

組織運営における不幸の多くは、均質性と多様性のどちらか一方を重視し過ぎることを原因としていることが多い。

 

均質性を追求することで「効率」を高め利益をあげるモデルが崩壊したいま、多様性を追求することで競争優位を確立しようとするダイバーシティ・マネジメントが俄に注目を集めている。

 

多様性を追求するときに重要なことは、許容範囲を拡げること以上に、多様性同士を紡ぐ一本の横糸が存在するかどうかである。

 

自然界では神の手が働く。

 

しかし、人間が意図的につくり上げる多様性に満ちた組織において、その糸が無ければ、単なる烏合の衆と化す危険を持っている。

 

では、その糸とは、何であろうか?

 

新人採用のときから、その「糸」にたぐり寄せられ、事業承継によって引き継がれるものは貸借対照表にのっている資産ではなく、その「糸」であるというレベルのものである。

 

社内の壁やサイトに掲げられている、カビが生えた経営理念やミッションは、残念ながら「糸」にはなり得ない。

 

ときとして、「経営者自身が持つ事業における絶対に譲れないこだわり」と称することがある「糸」を見出すことが、これからの経営には必須となる。

 

それがあってはじめて、異分子を多様性という価値に高めることが可能となるからだ。

 

また、横糸で紡ぐ力を高めることで、ビジネスモデル、企業組織を柔軟かつ迅速に可変させる要の役割を果たすことができる。

 

動的に安定した継続繁栄する企業を実現するために、多様性を繋ぐ均質な「糸」は不可欠なのだ。

 

経営者として、多様性を繋ぐ一筋の糸を手にしているだろうか。