「群れ」ても「似たもの同士」になるな

人間は社会的生き物だから、本質的に群れるのが好きです。

 

それは、一人でいるよりも集団でいた方が生存戦略上有利に働くという知恵がDNAに刷り込まれているからでしょう。

 

人が群れる場合、その群れに属する以上、特定の共通性を求められることになります。たとえば、同じクラス、同じ町内、同じ趣味、同じ仕事・・・

 

集団は、共通項が1つで繋がっている場合と2つ以上の共通項で繋がっている場合のどちらにおいて、より強い結束力を発揮するでしょうか。

 

常識的な見解に従うなら、複数の共通項がある方が結束力が高まることになりますが、この考え方は、半分正しいけれど半分は危うさを招きます。

 

キーワードは、「群れる」ことと「似たもの同士」になることは、似ているようで大きな違いがあるという点にあります。

 

群れるのはいいが、「似たもの同士」にならないように気配りをすることが、生存戦略上とても重要なのです。

 

組織づくりをする社長の悩み

群れの一つの形態が「企業組織」です。

 

経営者の多くは、企業組織を構成するメンバーの顔ぶれを考えるとき、必ず同じ課題に直面します。

 

それは、お気に入りだけで固めるか、反対意見を口にする者も加えるかという悩ましい課題です。

 

どんな企業でも、社長以上に会社のことを真剣に考えている社員はいない。これは真実だ。

 

だから、社長が三日三晩かけて考えた方針に対して、「そんなことやる意味ありますか?」などと腑抜けた切り返しをされると、精神衛生上たいへんマイナスです。

 

さらに、説得のために時間とエネルギーが余計にかかります。

 

説得の甲斐があって、「まあ、社長がそこまで言うんなら、いいんじゃないですか」というふやけた言葉を引き出した頃には、社長自身の精も根も尽き果ててしまいます。

 

その結果、肝心な実行が疎かになっている企業が驚くほどたくさん存在します。

 

笑い話のような話ですが、これは事実なのです。

 

こんな惨めな状況を、ぜひ避けたいと考えるのは無理からぬことです。

 

だからこそ現実的には、多くの会社は時間をかけてイエスマンによって固められていきます。

 

イエスマンに囲まれた境遇は、社長にとっては居心地がよい。

 

万事ものごとがスムーズに運ぶ。

 

でも、船旅が日々楽しいことが、その船が正しい針路で航海していることを保証するわけではありません。

 

地球上に多くの「種」が存在する理由とは

例えば、アフリカのサバンナには多くの草食動物が生息しているが、生息数上位5番目までの内訳はつぎの通りとなっています。

 

ヌー 偶蹄目ウシ科ヌー属
シマウマ ウマ目ウマ科ウマ属
トムソンガゼル 偶蹄目ウシ科ガゼル属
グラントガゼル 偶蹄目ウシ科ガゼル属
イランド 偶蹄目ウシ科イランド亜属

 

生命の本質について考えた生物学者は、これを「生態学的な棲み分け」という概念で説明しようとしました。

 

これを見て分かることは、上位5番目までに「偶蹄目ウシ科」の動物が4種類も入っていることです。

 

つまり、広い意味では「ウシ」が多いのですが、ヌーとガゼルとイランドでは生態系における地位が微妙に異なるし、行動パターンもやや異なるし、当然食物の嗜好もちょっと違う。

 

ここで、ガゼルだけが好んで食べる草が原因となる伝染病が発生して、ある地域のガゼルが全滅してしまったとします。

 

一方で、ヌーやイランドはその草を食べなかったので罹患を免れたとします。

 

さて、ライオンやチータのような肉食獣にしてみたら、「今日の晩ご飯はヌーかガゼルか」の違いは「今日の晩ご飯は広東麺か担々麺」くらいの違いしかないでしょう。

 

だから、ガゼルが全滅してもヌーやイランドがいればエサにはことかかず、とりあえず生態系はバランスを維持することが出来ます。

 

生物学者は、種の多様性の根拠をこう考えました。

 

「生命システムでは、似たような機能を果たすファクターの性質や行動には、ある程度のばらつきがあった方が、システム・ダウンのリスクを回避する可能性が高い」

 

人間社会で均質化が進むことの危険性

同じ話を人間社会に当てはめてみましょう。

 

なぜ、全世界的な規模のグローバリゼーションの圧力にも関わらず、これほど多くの国民国家や種族や宗教共同体が地球上に溢れかえり、それぞれの差異を言い立てているのか。

 

それは「生態学的棲み分けの多様性」こそが人類の存続にとって必須である、ということを人々がどこか身体の深いところで直観しているからです。

 

全人類がエスペラント語を語り、同一宗教を信仰し、世界共通の法律を遵守するようになったら、地球は今より平和で安定した状態になるだろうか。

 

おそらく、そうはならないはずです。

 

むしろ、世界のシステムの安定性と永続性は大きな危機に直面することになると考えられます。

 

なぜなら、均質性の高い個体が集中した部分からシステムは崩壊するからです。

 

だから、部分的に均質化が極端に進行していることが見て取れる場合は、システム崩壊が、どこから始まるかが事前に予測可能になります。

 

多様性を繋ぐ一筋の糸こそが重要

人間は生物である以上、生存のために多様性の大切さにどこかで気付いています。

 

しかし、人間はヒトであるゆえに「思考する」という他の生物が有しない特権を持ちます。

 

そのため人間は、自らが信じることを唯一の正義として振りかざすことで、均質性を求め多様性を排除するというジレンマを抱えています。

 

だから、宗教における争い、政治的な戦いにおいては、妥協点を探すことが目的ではなく、一方が他方を排除することを目指すことになるのです。

 

企業活動においても同じことが言えます。民主主義が働かない企業統治の世界いおいては、均質性を高めることはむしろ簡単なことです。

 

自らの意に沿う人だけを採用し、入社後も自分のメガネに適う人に高い評価を与えることが可能だからです。

 

しかしここで、均質性と多様性をトレードオフの関係でとらえる間違いをしてはいけません。

 

組織運営における不幸の多くは、均質性と多様性のどちらか一方を重視し過ぎることを原因としていることが多いのです。

 

均質性を追求することで「効率」を高め利益をあげるモデルが崩壊したいま、多様性を追求することで競争優位を確立しようとするダイバーシティ・マネジメントが俄に注目を集めています。

 

多様性を追求するときに重要なことは、許容範囲を拡げること以上に、多様性同士を紡ぐ一本の横糸が存在するかどうかにあります。

 

自然界では神の手が働く。

 

しかし、人間が意図的につくり上げる多様性に満ちた組織において、その糸が無ければ、単なる烏合の衆と化す危険を招聘します。

 

では、その糸とは、何であろうか?

 

新人採用のときから、その「糸」にたぐり寄せられ、事業承継によって引き継がれるものは貸借対照表にのっている資産ではなく、その「糸」であるというレベルのものです。

 

社内の壁やサイトに掲げられている、カビが生えた経営理念やミッションは、残念ながら「糸」にはなり得ません。

 

ときとして、「経営者自身が持つ事業における絶対に譲れないこだわり」と称することがある「糸」を見出すことが、これからの経営には必須になります。

 

それがあってはじめて、異分子を多様性という価値に高めることが可能となるからです。

 

また、横糸で紡ぐ力を高めることで、ビジネスモデル、企業組織を柔軟かつ迅速に可変させる要の役割を果たすことができます。

 

動的に安定した継続繁栄する企業を実現するために、多様性を繋ぐ均質な「糸」は不可欠です。

 

経営者として、多様性を繋ぐ一筋の糸を手にしているだろうか。