1 コミュニケーションとしてのファッションの意味

3月に入って10日も過ぎると、陽気もグッと春めいてきます。

 

そうなると、街ゆく人の装いも徐々に薄着に変わっていきます。

 

個人的にはファッションを語れるほど風流な人間ではありませんが、あえて偉そうに言います。

 

薄着の季節になるといつも思うのですが、オシャレな人はそのおしゃれさが際立ち、逆にそうでない人はいつも以上にダサさが際立つのです。

 

そして、オシャレ・コンシャスな人は「ファッションは自己表現だ」と語りますが、実際のところファッションは極めて記号的表現であるために、相手に伝わる意味は自由自在ではありません。

 

具体的には、「オシャレ」という褒め言葉を使う時に、以下の2つの意味を含んでいることが多いはずです。

 

  1. 流行のファッションをいち早く取り入れて、情報感度の高さを示す。
  2. ハイブランドの服を身につけることで、財政的豊かさを示す。

 

記号論的に考えると、ファッションを通じての表現には明示的な意味(デノテーション)と暗示的な意味(コノテーション)が併存しています。

 

明示的な意味としては、「流行のファッションを着用している人」「ハイブランドの服を着用している人」に過ぎません。

 

一方暗示的な意味は、「私は情報感度が高い」や「私は財政的に豊かだ」になります。

 

オシャレをする目的は、明示的な意味ではなく暗示的な意味を相手に伝達することに、より大きな目的があるはずです。

 

ところがファッションによって表現可能な自分とは、(そんなもの存在しませんが)オリジナリティに溢れたクリエイティブな「わたし」ではありません。

 

ファッションを媒介として行うコミュニケーションが有効になるためには、情報の発信側も受信側も共有の「コードブック」を参照する必要があるからです。

 

来る春夏のモードを知るためには、ファッション雑誌というコードブックが必要です。

 

せっかく高いバッグや服を購入してくれた顧客が、「私は金を持っている」という暗示的意味の伝達に失敗しないように、グランメゾンは商品にロゴマークという共有コードを散りばめるのです。

 

特に流行というのはむずかしいもので、ある服装をしたり、ある持ち物を選ぶことが「流行感度の先端性の記号」であるということが理解されるためには、「流行感度の先端性」を解読する能力をなるべく多くの人々と共有している必要があります。

 

「あら、オシャレね!」と受信してくれる人がいない限り、どのような先端的なスタイルも記号としては機能しません。

 

「このコーディネートが何を意味するか」が共有されていなければ、どのような服や小物を身に着けようとも、それは流行感度の記号としては認識されません。

 

そして、「このコーディネートが何を意味するかが大衆的に認知されている」ということは、逆説的に言えば、それが「すでに先端的ではない」ということを意味しています。

 

だから、ソンブレロを被り、ガスマスクを着け、ラダイースジャケットに袴という出で立ちで、ピーターパンの靴を履いて究極のオシャレを目指しても、その目的を達することは難しいのです。

 

変わり者と言われるのがオチです。

 

共有コードブックに記載されていないファッションの代表格が、レディーガガのそれでしょう。

 

だから彼女のファッションは、「奇抜」「過激」と評されることはあっても、決して「オシャレ」と言われることがありません。

 

「流行に乗っかるなんて、くっだらネェ!」と表向きはイキったところで、本音では流行に魅了されることに身を委ねたい情動を否定し切れない理由は、実はこの一点にかかっているのです。

 

それ自体の先端性を否定することなしには、先端性として認知されないという矛盾を止揚するしかない弁証法的な宿命ゆえに、ファッションと流行はすぐれて人間的な現象なのです。

 

2 リクルート・スーツが真っ黒なワケ

ファッションと言えば、このところずっと気になっているのは、就活中の学生が着るスーツのカラーが真っ黒であることです。

 

記号的表現として、このリクルート・スーツが真っ黒であることは何を意味しているのかが気になっていました。

 

ところで、リクスー(リクルート・スーツの略称)が真っ黒になったのは、いつ頃からなのでしょうか。

 

東洋経済オンラインは2014年10月28日付の記事で、「リクルートスーツは、『黒系』を選べ! 服装で目立とうとしてはいけない」と指摘しました。

 

この記事に対して、脳科学者の茂木健一郎氏や、劇作家で演出家の鴻上尚史氏がツイッターで噛みつきました。

 

 

「就活生が『制服』を着る国。くだらねえ、意味のない記事だと、敢えて言いたい」

 

と、茂木氏がコメントすれば、鴻上氏も、

 

 

「実に同感。この国の息苦しさを後押ししてどうする 」

 

 

などと、つぶやきました。

 

茂木氏や鴻上氏の言いたいことは、分からなくありません。

 

しかし、リクスーの真っ黒さ加減を評価する以前に、そこに至る構造を理解することが、世相の洞察に役立つはずです。

 

私が就職活動をしたのは四半世紀も前のことですが、当時の「リクルート・ファッション」に対する感覚は、「無難だと思われている範囲をどこまでストレッチできるか」でした。

 

だから、スーツの色にしても「黒」を選ぶ人は皆無で主流は「紺」でしたが、その色合いにも幅がありました。

 

その他に「グレー」や「こげ茶」のスーツもありで、ボタンの数、襟の形、ポケットの形状、三つ揃いかどうか、ネクタイの色など大した工夫ではないにしても、何とか工夫と努力をしていました。

 

しかし、我々がこうした「趣味性」に多少でも興じられたのは、「売り手市場」という好調な就職戦線があったからです。

 

決して今の若者より当時の学生達の方がオリジナリティ豊かでクリエイティブだったわけではありません。

 

バブル景気後の日本においては、従来日本経済の強さの源と信じられ、セイフティネットとして機能していた多くのことが崩壊しました。

 

親方日の丸・護送船団方式、終身雇用制、教育、医療、年金・・・

 

セイフティネットが失われた社会は、特に弱い個人を標的にその生存をリアルに脅かしました。

 

水が高いところから低いところに流れるように、底辺を基準に均質化が進むグロバーリゼーションという競争ゲームにおいては、「ごく一部の者は勝ち続け、その他大勢は負け続ける」というルールによって成り立っているために、短期的に一握りの勝者と圧倒的多数の敗者に社会は二極化することになります。

 

資金もコネクションも世渡りの狡知も持たない若い社会人の多くが、こんなゲームで勝ち残ることは、構造的に不可能なのです。

 

結果的に「自分程度の才能では、いくらじたばたしても社会的勝者になる見通しは薄い」という辛辣な現実を親世代の「負け」ぶりから学習した子供世代は、「強者が総取りする」競争システムよりも、「弱者であっても生きられる」共生型社会の方が、自分自身の生き残りのためには有利であろうという判断を下すのは無理からぬことです。

 

弱者が生き残る道は、論理的に二つしかありません。

 

「強い存在の庇護下に入る」か「愛されなくてもいいから嫌われない」かの二つです。

 

前者は、いわゆる「玉の輿狙い」ですが、この戦略を全員が採択しても成功することは不可能です。

 

また、大手企業であろうとも倒産、吸収合併が相次ぐ事実を目の当たりして、若者の中に玉の輿そのものの存在に対する疑いが生まれて、メジャーな戦略とはなり得ません。

 

結果的に選ばれたのが、「愛されなくてもいいから嫌われない」方向性です。

 

自己利益の確保のためには、寡占的な依存状態を作らない「愛されなくてもいいから嫌われない」戦略は実効性が高いのです。

 

かつては「100人の女に好きと言われるより、1人の男に凄いと言われたい」などと平気な顔をしてうそぶく輩がいましたが、いまや「1人に凄いと言われるより、100人の老若男女から嫌われない」ことが、多くの若者にとって現実的な選択肢になりつつあるのではないでしょうか。

 

だから、「黒のスーツ」に留まらず、街中でエッジの効いたファッションが陰を潜め、「ユニクロ」「GAP」といったユニバーサル・ブランドを採用することが、価格の安さと相まって当然の選択となっているのでしょう。

 

茂木健一郎氏が指摘する「就活生が『制服』を着る国。くだらねえ」という状況は、そのふやけた外見からは想像できない、実は我々の社会がより生きることが難しい状況になりつつあるという痛ましい現実を映し出していると思います。

 

だから、「黒いスーツ」を「主体性のないファッション」というふうに決め付けるのは短見と言わなければなりません。むしろ、高度な記号的な操作であるからです。

 

それは、「失敗しないために、私はどういう格好をしてよいか分からないのです」というメッセージを周囲に向けて送信しているからです。

 

でも、「どういう格好をしていいか分からない時には、とりあえず『無難な格好』というものを知っているくらいには社会的常識があるのです」というかなり複雑なシグナルを彼らはファッションを通じて周囲に送っているのです。

 

「均質」な格好とは、前衛的な趣味を共有する排他的な集団記号ではなく、「私は、変わり者ではありません、受け容れて欲しいんです」というメッセージを発していることになり、その結果多くの同類の間で集団的な儚い絆が形成されて、「愛されなくてもいいけれど嫌われない」戦略は見事に成就します。

 

でも残念ながら、「愛されなくてもいいけれど嫌われない」状態は、霞のように脆い。

 

3 経営における生存戦略

バブル景気崩壊後の「失われた10年間」を通じて、多くの企業経営の方向性も、学生諸氏の真っ黒なリクスーと同じ状況になっています。

 

供給が需要を上回る拡大しない市場環境において、経営者は2つの選択肢を有効と認めて、結果的にどちらか一方を採択してきました。

 

2つの選択肢とは、前項2で触れた弱者の生存戦略です。

  • 強い存在の庇護下に入る
  • 愛されなくてもいいから嫌われない

 

 「大きいものは強い」「寄らば大樹の陰」という価値観のもとに、資本提携、吸収合併、事業売却、合弁事業というテクニカルな手法を駆使してきました。

 

しかし、そもそも絶対的に強大な人や会社という存在が疑わしくなりました。

 

仮にそのよう存在があったとしても、強さと大きさを手に入れることで失う柔軟性のデメリットが想像以上に大きいことに気付き始めた経営者は多いはずです。

 

一方で経営者は、売上が落ちた現実を目の当たりにして、「なぜ売れないのか」を考えてしまいました。

 

なぜ売れなくなったのか。それを徹底的に分析して対策を講じることが、100%間違いだとは言わないが、それをいくら繰り返したところで、選ばれる会社にはなりません。

 

銀座には、シャネル、ブルガリ、ディオール、エルメス・・・などのグランメゾンの直営店が軒を連ねています。

 

これらの店に足を踏み入れたとしても、その全員が買い物をするわけではありません。

 

100人が入店したら10%の人は購入に至ったけれど、残り90人は何も買わずに立ち去ったとします。

 

なぜこの90人は何も買わなかったのでしょうか。「売れなかった理由」を考えてみましょう。

 

接客、品揃え、価格設定・・・について来店者アンケートを実施したところ、やっぱり「高い」という結果が出てきました。

 

だとすると、もっと価格を引き下げるべきなのでしょうか。

 

つぎにもっと視野を広げてみます。

 

店舗には1日100人しか来店しませんでしたが、目の前の中央通りには1日に何万人もの人が通行しています。

 

この通行人達は、なぜ店に入らないのでしょうか。

 

そこで、同じくアンケートを実施したところ、「敷居が高くて入りづらい」「入口に黒服の男性が立っているのが威圧的だ」「どうせ高くて買えない」などの回答が出てきました。

 

やっぱり、このアンケートをもとに、もっと親しみやすくて気軽に店に入ることのできるリニューアルを実施すべきなのでしょうか。

 

入店しやすいファサード、誰でも手が届く価格設定、テーマパークのキャストさながらの明るい接客・・・

 

顧客が増えるかどうか、売上が伸びるかどうか以前に、これではもはやグランメゾンとしてのブランドの意味が失われてしまいます。

 

こうなると、もともと入店してくれていた100人が来なくなり、買い物をしてくれていた10人が買わなくなるでしょう。

 

笑い話にしか聞こえませんが、実際にこういう経営をしている会社はたくさんあります。

 

その原因は、すべて最初の質問を間違っていたからです。

 

考えるべきは、「なぜ売れないか」ではなく「なぜ売れている」かです。

 

「なぜ売れないか」を突き詰めることは、就活生よろしく「愛されなくてもいいから嫌われない」戦略をとることと同じ結果になります。

 

男女の関係でも同じことが言えます。

 

嫌いじゃないという理由で男を好きになる女性はいません。好かれるには好かれるための何かが必要です。

 

でも、こういう反論はあるかもしれません。

 

男女の話は一人を選ぶ場合の話だから、それでいいだろうけど、お客さんは一人っていうワケにはいきませんから。

 

一見、的を射ている考え方ですが、それは違います。

 

相手に興味があるからこそ、好きなところも嫌いなところもよく見えてくるのです。嫌いじゃない人とは、あまり興味がない人と同じことです。

 

だから、嫌いではない人が世の中には溢れかえっているけれど、そのすべてが好きであるはずはありません。

 

人気の高い芸能人には大勢のファンがいますが、ファン一人ひとりは「私だけの〇〇さん」と思っています。

 

特定の誰かに愛されない限り、誰からも愛されず、その逆で誰か一人から熱烈に愛されるものがあれば、他の人々を巻き込む力になる可能性が高いのです。

 

嫌われないための努力と好かれるための努力はまったく別物です。

 

これは企業においても寸分違わぬ話です。嫌われないための経営に徹した結果、誰からも好かれない会社になってしまった例は枚挙に暇がない。

 

もちろん、最初から嫌われようとして経営している社長はいないけれど、結果的に嫌われてしまうことは覚悟する必要があります。

 

誰にも嫌われないように徹してしまうと、誰からも好かれない会社になってしまいます。

 

ですから、先ずは記号的表現として、「当社は〇〇にこだわっています」というメッセージを一貫して発信することが重要です。

 

そこを取り違えて、無難に真っ黒なリクルート・スーツを着用した姿を顧客に見せてしまうと、嫌われないけど誰からも愛されない存在になるのです。

 

既存のコードブックを活用するだけではなく、新たなコードブックを作りあげることで、自社のビジネスを創造することの大切さを肝に銘じてください。