1 トマ・ピケティ著『21世紀の資本』が世界的に大ヒット中

フランスの経済学者トマ・ピケティ氏の『21世紀の資本』が売れている。日本では昨年12月に発売されて1カ月で8刷、13万部を記録した。

 

定価5940円(税込)、728ページ、 厚さ約4センチという経済書では異例の展開です。

 

今や『21世紀の資本』は、欧米の知識人にとっての必読書だ。母国フランスでの発売は2013年9月で、これまで13万部を売り上げています。

 

2014年4月に英訳版が出版されると、同書はわずか3ヶ月で40万部を売り上げるベストセラーになりました。そのうち75%は米国での販売実績なので、米国でのピケティ熱が高いことが伺えます。

 

ピケティ氏は同書の中で、大きく分けて3つの主張をしています。

  1. 資本収益率(r)は、常に経済成長率(g)を上回っているため、資本を持つ者にさらに資本が蓄積していく。
  2. 所得と富の不平等は世襲により21世紀においてさらに拡大していく。
  3. グローバルな資産に対する累進課税により格差の拡大を食い止める必要がある。

 

ピケティ氏は、多くの経済学者からも高い評価を受けています。

 

その理由は、1番目の主張としてあげた以下の直感的にうなずける数式を、超長期的な分析から歴史的事実として実証した点にあるのです。

 

資本収益率(r)は、経済成長率(g)を上回っている → r>g

 

 

ピケティ氏の調査分析によると、資本主義先進国では、資本収益率は平均すると4~5%に収まる一方で、経済成長率は平均して1~2%の範囲で収束しているとのことです。

 

この結果、資本を多く持つ富裕層は再投資によって富を雪だるま式に膨らませ、労働賃金にによって生活している人の富はたいして増えずに、格差は広がり続けるという流れです。

 

2番目の所得と富の不平等分配の拡大については、相関関係は示しているが因果関係が理論的に明確にされていないという批判があったり、3番目グローバルな累進課税については、ピケティ氏自身が実現可能性が低いことを認めているなど、賛否両論があるようです。

 

2 格差を原動力にしている資本主義

ピケティ氏が実証した「格差」は、残念ながら資本主義の原動力なのです。

 

そうであるかぎり、より大きな資本が小さな資本を飲み込んでゆくという必然性があります。

 

結果的に格差はどんどん拡大し、社会矛盾は頻発するけれど、資本主義はこの矛盾を調整する原理を自分のうちに持っていません。

 

こうして資本主義はどこかで必ずパンクする。これがマルクスの「資本主義の不可能性の原理」です。ただしこの原理は、ワルラスやケインズの近代経済学によって、いまはかなり相対化されています。

 

ともあれ、資本主義の矛盾を克服するために、「私的所有」と「自由競争」の原理を人民権力によって禁止する以外にない、そうマルクスは考えました。

 

ここが一番問題となる点です。

 

「自由の解放」の理念は、もともと「所有の自由」や「生き方の解放(職業の自由)」を含んでいました。

 

だから、資本主義が進み一般の人間にも所有と自由の余地が出てきたら、個人としては誰しもその2つを求める以上、大多数の人がその禁止に合意するという保証がまったくありません。

 

そこで理想理念を徹底しようとすると、私的所有と自由競争の禁止を、民衆の意志に反して統治権力が強行すべき、ということになる可能性があります。

 

つまり、社会的善(理想)を実現するために、権力による「自由の抑圧」を必要とする、という事態になります。実際に、たくさんの社会主義国がこの道をたどりました。

 

さて、一般的に資本主義は、資本の自己増殖(利潤の拡大)による経済システムと定義されますが、ここで哲学的な定義を行うと、「普遍交換」と「普遍分業」の概念で考えることになります。

 

資本主義は自由市場主義の展開形ですが、自由市場は、交易による商業利潤から始まりました。たとえば、商人は近場の特産品を価格差の大きな遠い場所に持って行ってできるだけ多く売ることで、大きな利益を得ます。

 

だから、商業によって社会が栄えると錯覚してしまいますが、交易によってお金が儲かるのではありません。商業、交易自体は、根本的にただ生み出された商品・財を移動しているだけです。

 

社会の富が増える本当の原因は「分業」です。

 

アダム・スミスが『国富論』の冒頭でビンを製造している工場が、分業によって4,800倍の生産性を上げている様子を描いています。この意味は、まさしく「分業」だけが社会生産を飛躍的に増大する、分業だけが人民を豊かにする可能性を持っている、ということを指しています。

 

商品交換が増える分だけ儲かるので、商人は農村に入り込んでどんどん「分業」を促そうとします。このことによって、いたるところで商品生産の「分業化」が進むのです。「普遍交換」が「普遍分業」を促進する、ということです。

 

3 利潤を極大化する普遍消費

ただ、もう一つ大事な要素があります。「普遍消費」です。

 

交換の拡大が分業の拡大をどんどん促すけれど、これに見合った大きな消費がなければ、生産過剰になって交換と分業のサイクルは滞ることになるからです。

 

本格的な近代社会以前は、消費層は1割から2割の特権的支配階層に限られていました。そこに、市民国家が現れて人民の自由が解放されることで変化が生じます。

 

それまで人は、自分の土地に縛られて食べ物と衣服と必要なものを自給していました。しかし近代国家では、多くの人間が財の生産の過程に入り、貨幣を稼いで消費するようになります。この「普遍消費」が、普遍交換と普遍分業のサイクルを回し続けることになるのです。

 

要するに、資本主義とは、普遍交換→普遍分業→普遍消費のサイクルが産業革命や市民国家の形成と一つになって大きな規模で現れた、近代社会に特有の経済システムなのです。

 

そして、この経済システムの特徴=「持続的に社会生産を拡大していく経済システム」が功罪を生むことになります。

 

つまり、自由主義経済=資本主義は、近代国家の不可欠な基礎条件であって、社会生産の持続的な増大がなければ、万人の「自由」の解放ということ自体まったく不可能だったのです。

 

資本主義は競争による経済であって、これを止めると持続的な生産拡大が止まってしまいます。

 

ピケティ氏自身も、フランス社会党のブレーンですが、資本主義より効率の高い経済システムはないと言っています。彼が資本課税の強化を主張するのも、これ以上の不平等を防いで、保護主義や過剰介入から資本主義を守るためです。

 

問題は、資本主義を他の経済システムに置き換えることは今のところ不可能で、むしろ、それを生み出す格差や富の支配をいかに市民的に制御できるかなのです。

 

そんなわけで、資本主義のオルタナティブは今のところ存在しません。これを止めると昔の普遍支配構造に戻ってしまうからです。

 

4 日本の問題は格差ではなく・・・

ということで、ピケティ著『21世紀の資本』が売れている理由は、「格差の拡大」を実感している人が多いからでしょう。

 

当のフランスよりもアメリカでこの本が一番売れている理由も、世界でアメリカが一番の格差社会だからです。

 

それでは、日本の格差はどういう状況なのでしょうか。

 

先日ピケティ氏が来日した際に、ブルームバーグなどの海外メディアはインタビューを行い、日本における「格差」の問題を取り上げました。その中で、ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)は、日本の格差がここ数年縮小していることを指摘しています。

 

WSJは、世界経済の格差拡大を論じるピケティ氏に対し、「日本だけは例外かもしれない」と、ピケティ氏自身が監修する最新のデータを挙げて論じています。

 

WSJは、主要30ヶ国の収入格差のデータを集めるピケティ氏監修の「ワールド・トップ・インカムス・データベース」から、日本に関する未公表の最新データを独自入手したようです。

 

それによれば、日本の収入格差は1990年代初めからゆっくりと拡大したが、最近になって、横ばいまたはわずかに縮まる傾向にあるという。同データベースは、各国の年収上位1%の人々の年収が国民全体の年収に占める割合を、「格差」の大きさの基準にしている。日本の場合は、1990年代初めは7%だったが、2008年までに9.4%に上昇。2012年には9%に下がった。

 

1段目で示したように、格差の原因として、ピケティ氏は「資本収益率(r)が成長率(g)より大きい」という不等式を示していますが、日本の資本収益率は大きく低下し、長期金利は0.2%を割っています。

 

厳密に言うと、この不等式だけでは、格差が拡大する原因は見えてこないので、以下の説明文を参照してください。

 

 

資本収益率(r)は資産というストックに対する比率ですが、経済成長率(g)は毎年の国民所得というフローの数字なので、直接には比べられないのです。

 

これを比較するには、資本が所得の何年分あるかという別の数値が必要です。

 

それが、資本/所得=資本所得比率=βです。

 

たとえば国民所得が100兆円の国で、βが5だとすると、500兆円の資本があることになります。

 

r=5%の場合、500×5%=25兆円が資本所得になります。

 

すると、100兆円ー25兆円=75兆円が労働所得になります。

 

この場合、資本分配率(国民所得に占める資本所得の比率)=α=25%になるのです。

 

αが大きくなるか小さくなるかは、2つの変数に依存するために、一概には言えません。

 

r=6%になっても、β=4になると、400兆円×6%=24兆円になるので、資本分配率(α)は下がります。

 

ピケティ氏は20世紀後半以降、βも増加している(資本の蓄積が拡大している)という前提を置いて、格差の拡大を主張しているのです。

 

 

日本の場合、成長率も低いけれど、r>gで不平等がどんどん拡大する状況にはありません。

 

ピケティ氏は、資本/所得比率(β)が上がると格差が拡大するという指摘もしていますが、日本では1980年代の7倍から現在は6倍に下がり、結果的に資本分配率(α)も下がりました。

 

今日本で起きていることは、格差の拡大ではないとすると、何なのだろうか。

 

グローバル化で正社員の多い製造業が拠点を海外に移す一方で、国内ではサービス業の短期雇用が増えました。このため、製造業の単純労働者の賃金は新興国に引き寄せられて下がり、国内格差が広がっています。

 

先進国では単純労働者の賃金が新興国に近づくので、知識労働者との国内格差が拡大します。特に日本では、中国との賃金(単位労働コスト)の差が2倍以上あるため、実質賃金の低下が続いています。

 

日銀の「異次元緩和」で物価が上がったため、実質賃金(賃金/物価)は逆に下がりました。おまけにドルが2年間で50%も上がったので、輸出中心の大企業の収益は上がりましたが、流通などの国内型中小企業の経営は悪化し、格差が拡大しました。

 

日本で問題なのは、ピケティ氏の指摘するような資本家と労働者の格差ではなく、むしろ資本収益率が下がり、欧米の半分以下になったことでしょう。

 

このため銀行も企業に融資せず、国債を買っているのです。企業は企業で、投資しないで貯蓄しているので、資本家と労働者の格差は拡大しない代わりに成長率が低下しているという構図です。

 

普通はこのようにキャッシュフローを浪費していると株価が下がり、企業買収のターゲットになるのですが、日本では持ち合いなどによって買収が困難になっているのをいいことに、経営者が保身のために企業貯蓄を増やしている現状です。

 

一方で、貧しさの指標である生活保護受給世帯数は160万世帯を超え、中長期的に見ると史上最多・最悪の水準にあります。

 

また、相対的貧困率(全国民の所得の中央値の半分に満たない国民の割合)は16%を超え、OECD加盟30ヶ国中4番目に高い水準となっています。

 

ところが、所得格差を測るバロメーターとして最も代表的なジニ係数を見ると、再配分前では緩やかに上昇をしているため、一部では格差が拡大しているという論調がありますが、税・社会保障などによる再配分後の数値で見ると上昇しているとは言えません。

 

増加する貧困層、一方で上昇しないジニ係数。これは一体何を意味するのだろう。

 

一橋大学経済研究所の小塩教授が分析した可処分所得の分布の推移(1997年から2006年)を見ると、ある傾向がはっきり現れています。

 

年収300万円~600万円の分布割合が減り、その分100万円~200万円の分布割合が増加しています。その一方で、年収800万円以上の高所得者に属する分布割合にはほとんど変化がありません。

 

小塩教授によると「国民の所得は、より低いところに集まったことがわかる。もし格差が拡大しているなら高所得の側に新しい山ができているはずだが、それがないということは、日本人が全体に貧しくなっている状況を示している」

 

詰まるところ、日本でいま起きていることは格差社会ではなく、全国民が転落する社会ということなのです。

 

5 予測するのではなく洞察する

ピケティ著『21世紀の資本』というベストセラーを材料に、格差とか貧困について考えてきましたが、重要なことは、二極化する社会という考え方が当たっているかどうかという点にはありません。

 

経営者は、近視眼的に目先の事柄にだけ囚われることなく、「これから先」を読むことこそ常に重要な任務である以上、世の中を大局的に捉える視点を持つべきだと考えます。

 

その際、自らをインスパイアするための契機としてピケティ著『21世紀の資本』は最良の材料の一つだと思います。

 

しかし、これから先を読むという場合、今までは市場における競合の動向を予測することに力をいれていたことが多かったはずです。将棋にたとえて言えば、「駒の手筋」を読んでしまうのです。

 

未来においてこれから起きることを、あたかも将棋の駒を動かす手筋をシミュレーションするように、時系列的かつ具体的に予測しようとしてしまう思考の癖を、優秀な経営者ほど持っています。

 

でも、これからの市場においては、将棋で駒の手筋を読むような競合の動向予測をしてみたところで、必ず壁に突き当たるはずです。

 

その理由は、現代の市場はきわめて複雑な様相を呈しているからです。業界というくくり方が希薄になり情報化が進んだ市場においては、プレイヤーとしての企業にとって、ある戦略的局面において目前に現れる打ち手は無数にあるのです。

 

そのため、各プレイヤーが選ぶ打ち手の組み合わせを考えていると、これから起こりえる競合の動向パターンは膨大な数になってしまいます。それらを全て分析し予測することは不可能なことです。

 

では、どうすればいいのでしょうか。

 

「市場や世の中の趨勢を洞察する」ことです。具体的な道筋は分からないけれど、大局的にはかならずこの方向へ向かうという趨勢というもの間違いなく存在します。

 

水が高きから低きに流れるように、道筋は分からなくても高いところで流された水は、必ず下に向かって進んでいきます。

 

同様に、これから世の中や市場で何が起こるかについて具体的なプロセスは定義できなくても、大局的には必ずこの方向へ向かうことを見抜く、あるいは仮説を立てることを行わなければなりません。

 

それこそが、これからの時代の戦略的思考の特徴です。

 

日本においては、格差社会ではなく総貧困化が起こる可能性が高いと考えます。さらに言うと、貧困より「貧乏」の方が日本おけるテーマではないかと考えています。

 

日本における「貧乏」についての話は、来週のコラムにて続けます。