平成27年の年頭の挨拶も「厳しい」というキーワードが人気

新年が明けて今日で7日目となった。5日月曜日から仕事始めという会社が多いはずです。

 

いろいろな企業トップが語る年頭の挨拶を読んでいると、「厳しい」という言葉が必ず出てきます。「厳しい」市場環境、「厳しい」経営・・・等々

 

「厳しい」という表現は、何もデフレから完全に脱却しきれない状況が続く現在だから出てくる言葉ではなく、平成元年(1989年)の年頭の挨拶を紐解いてみでも、多くの社長が使っていた言葉です。

 

とにかく経営者は、年頭において気持ちを引き締めるために、「今年は楽勝!」とか「我が社のこの先1年間は希望に満ち溢れていて何らの不安もない」などとは決して口にしません。

 

5日の仕事始めにあたって、大企業から中小企業に到るまで、全国津々浦々で「厳しい」という言葉が飛び交った日本だったはずです。

 

しかし、そういった精神論も結構ですが、経営者として本当のところ経営環境の「厳しさ」をどのように認識しているのでしょうか。

 

たとえば円安で材料費が高騰していることは事実ですが、それはミクロな視点に過ぎません。

 

本当の厳しさとは、もっとマクロ的に長い時間軸で俯瞰しないと見えてきません。

 

急激に拡大を続けた戦後の日本経済

ところで、資産運用の世界ではα(アルファ)値とβ(ベータ)値という言葉が使われます

 

厳密な定義はこの場では必要ないので簡単に言うと、βとは市場全体のリターンを表す言葉で、αとは個別銘柄のリターンとなる。αは当然βを上回ることもあれば下回ることもある。

 

つまり投資家は、この2つの選択をして投資をしていることになります。

・どの市場(β)に投資するか
・誰の運用方針(α)に投資するか

 

この2つの値を経営の世界に当てはめると、以下のとおりになります。

・αは、経営者の手腕
・βは、日本経済の成長

 

βを表すものとして、1992年のGDPを100とした日本の過去60年間の名目GDPの推移を表したグラフを示す。

 

GDP推移

 

このグラフを見れば明らかなとおり、1990年代に入るまでの日本経済のβは順調に推移していた。

 

バブル景気崩壊後から2年が経過した1992年のGDPを100とすると、「もはや戦後ではない」と言われた1955年のGDPは2でしかありません。

 

それが、1955年から25年経過した1980年に50となり、1980年からは半分の12年間で100に達している。実に37年間で50倍になったのです。

 

1970年代に2度ののオイルショックという景気後退期があったにも関わらず、日本経済は急激な成長を続けて来たことが分かります。

 

日本経済という拡大市場に乗っかっていれば、よほど間違った経営をしない限り誰でも経営ができた。それが戦後の日本経済だったのです。

 

多くの経営者が自分の手腕を過大評価していた

しかし、実はこうした恵まれた環境のもとでも、経営者の手腕であるαの差は存在していましたが、日本経済のβが順調に伸びていく限りは、市場へ投資した誰もが大小の違いこそあれプラスのリターンを得られました。

 

前年に比べて今年は市場が10%拡大したときに、優秀な経営者は企業を20%成長させ、出来の悪い経営者は8%に留まっていることがありましたが、対前年比の数値がプラスであるということで、多くの経営者が会社を順調に運営していると信じ、自らの手腕を勘違いしていました。

 

特に、堅実な経営を行うより、借入をして成長する市場に投資をした企業は、無借金経営の企業より大きなリターンを得たはずです。仮に、多少投資に失敗しても、市場の成長がその傷跡を飲み込んでいった。

 

この時代の経営者は、何か一つビジネスモデルを持てば、あとは市場の拡大に追いつけ追い越せで、商圏の拡大、生産力の強化、販売力の強化をすることが経営戦略でした。

 

質的変化を伴なわない拡大。このことを「グローバリゼーション」といいます。昨今、グローバリゼーションという言葉が大流行ですが、実はそんな格好いい話ではありません。

 

ビジネスの質的進化を行わずに、水平的展開を図ることがグローバリゼーションの本質に過ぎません。

 

ただ国内に限定されていた物理的範囲が、新興国を中心とした国外へ拡大した途端に「グローバリゼーション」という聞き心地の良いカタカナ言葉に変わっただけなのです。(もちろん、行く先々の国の文化や習慣に合わせて販売上のアジャストは必要でしょうが、ビジネスモデルそのものは維持するところに意味があるのです。)

 

グローバリゼーションとは、言い替えれば(表現が乱暴で恐縮ですが)、「馬鹿の一つ覚え」ということになります。

 

しかし、1990年代に入り日本のβは一変しました。

 

それまでの右肩上がりの市場の成長は消え失せ、日本経済というβの場では、α=経営者の手腕が重要な要素になってきました。

 

そこで、市場が10%伸びているときに8%に甘んじていたにも関わらず危機感を抱いていなかった経営者は、市場がゼロ%成長になると、自社はマイナス成長に転落して慌てることになったのです。

 

だが、市場の拡大に乗じて経営する手法しか知らない社長に、市場の成長を上回る自社の成長を成し遂げた経験はないし、知識も能力もないというのが残念ながら現実でした。

 

ゼロサム・ゲームではなく価値の創出こそが経営のテーマ

市場のパイが増加しなくなったどころか、減少し始めると、ビジネスは限られたパイを他社から奪って自社のものにするというゼロサム・ゲームへと変化しました。

 

しかも、ゼロサム・ゲームに勝つための手段が「安売り」オンリーになったのが、バブル景気崩壊後の日本の企業行動です。

 

限られたパイに対して儲けを削って安売りを行えば、その市場の儲けの総和は当然に減少します。

 

そうこうしているうちに、必要なモノを安く手に入れ終わってしまった消費者が、「どんなに安くても、必要がないモノは要りません」という状態になったことで、デフレが加速しました。

 

多くの企業は、「デフレだからモノが売れない」と考えていますが、それは順逆が違います。必要がないからモノを買わないだけです。

 

しかもデフレを長引かせている責任の一端を担っている企業の数は、驚くほど多い。

 

経営者自身が、デフレの被害者ではなく、むしろデフレの加害者であるという認識を持たない限り、アベノミクスがあろうがなかろうが、この長いトンネルから抜け出すことは難しいでしょう。

 

そのうえで、日本経済というβが期待できない場では、αとしての「経営者の手腕」が剝きだしで問われる時代になっているという痛烈な認識を全ての経営者が持つ必要があります。

 

もちろん、この事実に早々に気付いて経営者としての研鑽を積み増している方も少なからずいます。

 

しかし残念ながら、MBAを取得しようが、企業風土改革をしようが、ICTを導入しようが、期待を上回る効果を得られていないはずです。なぜなら、それらは対処療法に過ぎないから。

 

どこまで行っても、顧客の財布の中身を他社から奪うために何をするかという発想を持っている限り、ゼロサム・ゲームから脱出することはできません。

 

簒奪(さんだつ)の思想から価値の創出をいかに行うかという考え方にパラダイムシフトすることが、経営者の手腕としてのα値を上げるための必須の条件なのです。

 

騏驎も老いては駑馬に劣る

 

きりんもおいてはどばにおとる

「騏驎」とは、一日に千里も走るすばらしい馬。駿馬のこと。

「駑馬」とは、足ののろい駄馬。転じて、平凡な馬・愚かな馬のことをいう。

騏驎のようなすぐれた名馬であっても、年老いると足ののろい駄馬以下になるという意味から、いかにすぐれた人物であっても老いによってその才覚は鈍り、普通の人にも劣るようになるということ。

 

 

この故事は、「昔取った杵柄」の反対の言葉として使われることが多い。

 

「騏驎も老いては駑馬に劣る」という故事をアイコンとして語りたいことは、これからの経営者に必要なことは「昔とった杵柄」ではなく、「新たな杵柄」だということです。

 

心有る経営者は、市場の拡大を前提としていた「昔取った杵柄」が使い物にならないことに気付いています。

 

しかし、「新たな杵柄」を力強く握りしめることができないところに経営の混迷があるのです。

 

「売上」という言葉に囚われている経営者は、「昔取った杵柄」を握りしめている。

 

「利益」に注目していても、原価や経費の管理によって増大を図ろうとしている経営者も、まだ「昔取った杵柄」の域を出ていない。

 

月次決算を導入し業績管理をマンスリーで行い、さらに経営計画を策定している経営者は相当に筋が良い。しかし、まだ握っている「杵柄」は「昔取った杵柄」のままです。

 

では「新たな杵柄」とは何なのでしょうか。

 

その答が、『動的安定経営』という戦略思考および具体的な企業経営指針です。

 

だからこそ、2015年の年頭に当たり、新たな杵柄としての『動的安定経営』を導入する企業を全力で支援することが我々の使命であることを改めて心に刻む次第です。