カルロス・ゴーンが行った「社内用語の統一」の意味と限界

日産で社内用語の統一を図ったカルロス・ゴーン氏

昨年末、日産に起死回生をもたらしたカルロス・ゴーン氏が金融商品取引法違反で逮捕されました。

ゴーン氏といえば、日産リバイバルプランの初期段階で、社内用語を統一したことが当時話題になりました。

日本人は良く言われるように、単一民族単一文化の環境で仕事をしているため、コミュニケーションの前段として、先ず言葉の定義を明確化する習慣がありません。

しかし、生まれ育った国、高等教育を受けた国、ビジネスを行う国がそれぞれ異なる経歴を持つゴーン氏にとって、最初に社内用語の統一を図ることは当然のことに過ぎなかったのです。

当時、この取り組みを知って「なるほど、日本においても、企業組織内のコミュニケーションをより的確に行うためには、言葉の定義を明確にすることが大切だ」と思った人が多かったはずです。

言葉の定義を明確にしてから始められる議論は簡単な話に過ぎない

しかし、言葉の定義を明確にすれば、集団におけるコミュニケーションが円滑に進み、あっという間に業績アップするとは限りません。

なぜなら、議論の開始地点として「キーワードを設定して、その定義を明確にしてから話をはじめる」というやり方は、原因と結果の順序が理解できていない人が犯す誤りだからです。

そもそも、人の意見が食い違うのは、言葉の定義が違うことに他なりません。

名詞に属する簡単な言葉、たとえば、石とか自動車とかパソコンなどについて、一意的に定義をすることは簡単なことですし、異論が出ることは少ないものです。

でも、会社において「利益」とか「責任」を論じようとか、私生活において「愛」とか「幸せ」を論じようとかするときに、それが何を意味するかという定義について意見が噛み合わないのであり、お互いの意見を陳述して妥協点を探るなどというシステマチックな方法で、一意的に定義が決まることはありえません。

たから、言葉の定義を明確にしてから始められる議論などというものには、最初から大した内容は伴いません。

対話を継続的に喚起するキーワードを共有することに意味がある

むしろ、言葉の定義に食い違いがあることを前提に、それを放置せず、すり合わせのために対話を開始すること自体にコミュニケーションの価値があるのです。

そういう遂行的な取り組みを等閑にしている組織が、最終的に業績不振に陥り、外部からやって来たカルロス・ゴーン氏のような人物によって、緊急事態の中で強権的に言葉が定義される必要があっただけです。

つまり、組織において重要なキーワードについて一意的に定義を決めてしまうことに意味があるのではなく、コミュニケーションを継続的に喚起するための鍵となる言葉が適切に認識されていて、その定義について継続的な議論が行われているほど、風通しがよくて求心力を持つ組織になりやすいということになります。

企業における「意義」とか「使命」とか「顧客」などの言葉は、一意的に定義が難しいけれど、それが何を意味するかについて組織としての共通した認識を持つことは、経営者としての「重要な」職責です。

何が「重要か」についても、意見が食い違い議論を要することですが・・・