全体像を最初に描かずディテールから着手する宮崎駿氏

昨年から来年にかけて、『ジブリの立体建造物展』が順番に全国各地で開催されています。

 

すでに東京都、長野県、愛知県での展示期間を終えて、現在は熊本県の熊本市現代美術館に場所を移しています。

 

この『ジブリの立体構造物展』のサブタイトルは、「部分を見れば、全体が見える」です。

 

なぜ、このサブタイトルがつけられたのでしょうか?

 

スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫氏が、その理由を語っています。

 

宮崎駿氏は、何か構想を立てるとき「半径3メートル以内のこと」から考え始めるそうです。

 

実在する「三鷹の森ジブリ美術館」の設計も、ひとつの部屋から始まったとのこと。

 

 

まず、少年の部屋を作った。

 

おじいちゃんから貰った部屋だという。

 

壁一面にイメージボードを貼りまくり、天井には、飛行機やプテラノドンが吊るされていたさらに部屋のイメージボードを描く。

 

そうこうするうちに、記憶が定かではないが、16くらいの部屋が完成した。

 

これをぐるりと回れば、どうやって映画が出来上がるのか、分かる仕組みだと言う。

 

で、それらを実際の敷地に当てはめてみた。

 

まったく、入り切らない。

 

宮さんがいらつく。

 

「敷地がなぜ、こんなに狭いんだ!」

 

とはいえ、それは最初から決まっていたこと。

 

井の頭公園は高さ制限も厳しかった。

 

それを無視してまったく考えずに画を描きまくったのだから入り切るわけがない。

 

そんなある日のこと。宮さんが、嬉しそうにぼくに近づいてきた。

 

「地下を掘ればいい」

 

そうすればワンフロアー広くなる。確かに。秀逸なアイディアだった。

 

お金がかなり、余分に掛かるけど。それでも、全部の部屋は入りきらなかったけど、ま、何とかなった。

 

(出典:「ジブリの建造物」鈴木敏夫氏著)

 

 

宮崎駿氏のこうした創作スタイルは、建造物の設計をするときだけに留まらず、アニメづくりでも一貫しています。

 

 

映画をどう作るかというときの、宮崎駿の最大の特徴は、「細部からはじめるところ」なんです。

 

その細部というのは何かと言うと、彼は「主人公の洋服、どうしよう?」と考えだすんです。

 

まだ、何を作るのかさえわからないときに、まずそこを考えているものだから、他の人はそんなときにはクチを出せないですよね。

 

細部なんてもんじゃないでしょう?

 

「鈴木さん、今度のヒロインどうしよう?」っていうんです。

 

何を聞きたいのかと言うと、ヘアスタイルなんですね。

 

宮さんの場合はカンタンなんですよ。

 

おさげにするか、おかっぱにするか、長く描くか……だけど、こっちはそんなことを言われたって、わからないでしょう?

 

宮崎駿の中では、それは、映画を作る上で、自分のなかのとても大切なものなんです。

 

彼はそれをじーっと考えていて、なにかの拍子に決めるんです。

 

(出典:ほぼ日刊イトイ新聞 2004年7月15日 糸井重里氏&鈴木敏夫氏対談)

 

 

鈴木敏夫氏が語る2つのエピソードから分かるのは、「部分を充実させて、それの複合体によって作品を作っていく」のが、宮崎駿氏の創作スタイルであることです。

 

つまり、作品全体の構造や流れを考えた上で細部にも気を配っているわけではなく、細部が全てであり全体はあくまで細部の集合体の結果であるのが、宮崎駿氏の作品の特徴です。

 

日本建築に伝統的な「全体」より「部分」志向

おおくの人は、宮崎駿氏の「細部ファースト」の創作スタイルに、ちょっとした違和感を持つかもしれません。

 

なぜなら、仕事の現場で毎日のように口にしている、あるいは聞かされている教えとは違うからです。

 

「まずは、きちんと青写真を描け」

「部分最適を積み重ねても全体最適にはならない」

「きちんと成果をあげるためには計画性をもって取り組め」

 

でも、仕事で意識高い系の人が好みそうなこうした考え方は、欧米から流入してきた近代合理主義の薫陶を受けた結果であり、もともと日本人の思考スタイルは宮崎駿的だったのです。

 

そのことは、古い建築物や庭園を見ると分かります。

 

加藤周一氏は著書『日本文化における時間と空間』(2007年 岩波書店)の中で、日本文化における空間の三つの特徴として、「オク(奥)」の概念、水平面の強調、「建増し」の思想をあげています。

 

今回とくに注目すべきは、「建増し」の思想です。

 

どの時代と文化においても、建築の基本的方法として計画方式と建て増し方式があることを認めたうえで、「いずれの方式を重視し、強調するかという点に関しては、文化による違いが著しい」ことを加藤氏は指摘しています。

 

具体的に言うと、フランスのヴェルサイユ宮殿やゴシックの大聖堂は、庭園を含めてすべて計画的であり、また北京の紫禁城の中心部分は計画的に左右対称の枠の中に収められています。

 

また北京では、四合院のような伝統的な住宅は計画的に左右対称で、建て増しの余地を残していません。

 

日本でも、大寺院は計画的に作られていることがおおいですが、広い敷地のなかに建物を点在させる一種の建て増し複合体で、その全体像には明らかな計画性がありません。

 

計画方式は、全体の調和をとくに左右対称というかたちで実現できる利点がある一方で、予測外の空間の必要が生じたときに対応が容易ではないという欠点があります。

 

反対に、建て増し方式は、いつまでも建て増しを続けることができるため、時と場合に変わる必要に対応できる利点がある一方で、できあがった建物の全体の形を初めから予想できない欠点があります。

 

日本古来の建築物は、建て増し方式を採用していることがおおいことは、有名な桂離宮を見ればわかるはずです。

 

当初は、現在古書院と呼ばれる建物一棟に庭を配したものであったらしいですが、智仁親王の子智忠の代に二度にわたって増築され、中書院、楽器の間、新御殿が加わって美しい雁行をみせる現在の姿となりました。

 

桂離宮は、建て増し方式に習熟した結果、実用的な利点を美的利点にまで高めた工夫が結晶している、日本らしい建築物と言えます。

 

そうした建築方式は、だいぶん時代を下った江戸時代になっても変わらなかったようで、武家屋敷には設計図が存在せず、最初に一つ目の部屋の床の間の袋棚の引き戸の金具から考え始め、つぎに床柱を決め、さらに床柱に合った床板や天井板を選んで一部屋完成した後に、隣の部屋をどうするかと考えて建て増していったのだそうです。

 

だから、西洋の人が江戸屋敷を見学すると、その建築構造の複雑さに、これをどうやって設計したのか驚嘆することが多いのです。

 

戦略思考においても必要な「部分」重視の姿勢

ここまで、宮崎駿氏の創作スタイルと洋の東西によって異なる建築方式を取り上げながら、「部分と全体」について見てきましたが、「具体と抽象」とか「戦術と戦略」という言葉同士の関係性にも通じるところがあります。

 

ビジネスの世界では、欧米流の経営管理手法が王道となっているので、時系列的に、全体→部分、抽象→具体、戦略→戦術という順番がすっかり常識となっています。

 

また、組織の中では、上の職位の者が「全体」「抽象」「戦略」を司り、下の職位の者が「部分」「具体」「戦術」を担うという役割分担も常識となっています。

 

このやり方で、長らくうまくビジネスが機能していた時期が長かったのですが、日本が成長期から成熟期に入るにともない、ここ20年ほどこれまでの考え方とやり方では、突き当たっている壁を乗り越えられないと感じている人が増えています。

 

だとするならば、何かを変える必要があり、そのいの一番に来ることは、簡単ではないにしても、いままで常識と考えていたいたことを思い切って裏返すことでしょう。

 

オフィスワークであれ工場の作業であれ、仕事とは「全体から部分」「抽象から具体」への変換作業だと信じて疑わない人がおおいはずです。

 

そのため、こう考えます。

 

上流の仕事は、コンセプト決めや全体の構造を決める抽象度の高い内容なので、個人の技量に頼るしかなく協働が難しい。反対に、下流に進むにつれて具体化され、作業量が飛躍的に増えていくにしたがって分担して大人数で取り組むことが可能になる。

 

でも、このような「合理的」な手法は、経済学が想定している「合理的経済人」であればうまく機能しますが、実際には「ヒト」という生き物がプレーヤーであることを考慮に入れると、大きな欠点があります。

 

それは、「人を抽象的なものに、感情を動かされることはない」ということです。人は具体化された何かに触れてはじめて、感情のスイッチが入るのです。

 

「全世界の人々を幸せにしよう」という極めて抽象度の高い考えに、誰も反対はしないでしょうが、これだけで、どんな艱難辛苦にも耐えうるような情熱やエネルギーが湧き出てくることはあり得ません。

 

子供のころに食べた料理の美味しさに感動したからシェフを目指すのであり、街で見かけた車の造形美に心を奪われて自動車デザイナーを目指すのではないでしょうか。

 

場合によっては、喜びや楽しみだけではなく、具体的な痛みがその動機になることもあるでしょう。

 

経営者が、極めて抽象的な「戦略」や「経営理念」だけを考え、出来上がったドキュメントを眺めるだけで、ウキウキワクワクが止まらないなんてことはありえないのです。

 

だからこそ、宮崎駿氏が、創作プロセスおいて細部から入っていくのは、「感情」を最初に起動させることの大切さを知っていたからに違いありません。

 

映画「007」シリーズや「チャーリーとチョコレート工場」の脚本家であるジョン・オーガスト氏は、脚本を作る際にいつもゴールは最初に決まっていて、その目指す場所へのストーリーが出来上がる過程は、面白いアイデアの集合体だと言います。

 

つまり、全体を構想して一から頭からストーリーを作っていくのではなく、具体的な印象深いシーンが最初にあって、そこにストーリーを肉付けしていくというやり方です。

 

宮崎駿氏にしろジョン・オーガスト氏にしろ、クリエティブな仕事をしている人にとっては、そういうやり方もありだが、ビジネスは同じようにうまくはいかない。

 

こう思う人もいるでしょう。

 

でも、ビジネスの世界でも、社長は「戦略」を考えるのに専念して、あとの「戦術」や「アクション・プラン」は下に丸投げというやり方から、戦略とそれを実現していくための戦術を垂直統合して、一体のものとして捉えるという変化が、これからの時代の経営には求められます。

 

それは、「戦略と戦術」「抽象と具体」「全体と部分」の間を瞬時に往復しながら考えることを意味します。

 

そうすることで、顧客に対しだけに留まらず社員の感情をも起動することで付加価値の高いビジネスを創出し、同時に戦略の立案と実行におけるアジリティ(俊敏性)を高めていくこと可能になるはずです。

 

かつて、Apple社のスティーブ・ジョブズ氏が、具体的な製品開発の現場に情熱を注ぎ続けたのは、具体性が持つ「感情の動き」を大切にしていたからだと思います。

 

だからこそ、スティーブ・ジョブズ氏は、こう語りました。

 

 

ユーザー調査を通じて製品をデザインしていくことには、大きな困難が伴う。

 

大抵の場合、消費者は、具体的な形にして見てもらうまで、自分でも何が欲しいのかわからないものだからだ。

 

 

宮崎駿氏流の「全体の構造や流れを考えた上で細部にも気を配るわけではなく、細部が全てであり全体はあくまで細部の集合体の結果である」ところまで割り切る必要はないかもしれません。

 

だが、少なくとも、これまで「全体」「抽象」「戦略」に価値を置いて来た人は、「部分」「具体」「戦術」との間の上下運動を繰り返すエクササイズを先ずは始めることです。

 

人間の身体と同じく成果は一朝一夕では現れないでしょうが、継続することで、必ずや自身と組織のブレイクスルーが起きるはずです。

 

「ブレイクスルーとは何か?」については、長い話になるので、回をあらためます。