勝ち負けの世界ではなく負けの世界にいる人間

現代社会に生きる私たちは、子どもの頃から勝ち負けの世界に生きることを強いられています。

 

成績の順位を競う、かけっこの順位を競う、受験での合格を競う・・・

 

社会人になると、仕事で営業成績を争い、競合他社とシェアを争い、出世スピードを争い、プラベートでもリア充度合いを争うという具合に、勝ち負けの世界で生きる傾向はますます強くなります。

 

当然、勝ち負けが支配する世界は、「勝つことが偉い」という価値観で成り立っています。

 

しかし、現実のビジネスや生活において、勝ち続けることがあるのでしょうか。

 

せいぜい「勝ったり、負けたり」と言いたいところですが、本当のところ私たちの多くは「負けたり、負けたり」しています。

 

勝利を得るために「死ぬ気で頑張れ!」と活を入れられることがありますが、人間にとって死は避けられないのだから、私たちは例外なく確実に訪れる「死という負け」に向かって進み続けています。不死身の人間がいない以上、この敗北に例外はありません。

 

「人間は結局は敗者である」

 

このことを絶対的な事実として、ビジネスと人生をを捉え直すした方が、よほど理にかなっているはずです。

 

ところが、家庭でも学校でも会社でも、私たちは「どうやって競争に勝つか」ばかりを教えられています。

 

「負け犬根性になれ」と言いたいのではありません。

 

私たちが勝負に熱中するのは、勝つためではなく「適切な負け方」「意義のある敗北」を学ぶためなのだ、と捉え直すことで、ビジネスも人生もより豊かなものに出来るという提案がしたいのです。

 

スポーツで学ぶことは「勝ち」よりも「負け」

スポーツの世界は勝ち負けが分かりやすい分野です。

 

例えば、毎年行われる夏の全国高等学校野球選手権大会の予選には、全国で4千校以上の高校が参加しますが、甲子園で優勝するのは一校だけで残りは全て敗者です。

 

このイベントが持つ教育的効果は、「どうやって勝つか」を学べることではないはずです。

 

なぜなら、その教訓を生かせるのは、毎年全国で一校しかなれない優勝校に属する人だけだからです。(実際には、優勝校の野球部の部員の中にベンチ入りすら出来なかった「敗者」が存在します。)

 

あれだけの時間とエネルギーを投じながら、たった一校に通じる教訓だけしか授けられないなら、これほど費用対効果の悪い教育的イベントはありません。

 

ところが、高校野球が「一生懸命に頑張った子どもは、数々の困難を乗り越えて、最後には勝者になれる」という教育的意義が得られるイベントであることについては、社会的合意が形成されています。

 

でも、参加者の99%以上が敗者であるイベントに、国民の多くがあれほど熱狂する本当の理由は、「適切に負ける」ことを学ぶことが人間にとってどれだけ重要かを(無意識であるにしろ)私たちが知っているからなのです。

 

適切に負けるための3つのポイント

「適切な負け方」には3つのポイントがあります。

 

第一は、「敗因はすべて自分自身にあるという潔い自責と自省」

負けたのは同僚や仲間のせいだとか、リーダーシップが悪かったからだとか言い逃れをするのは見苦しいだけで敬意を得られません。

 

第二は、「敗北から多くの改善点を学こと」

負け試合の後に「私たちはベストを尽くしました。相手が強かったです。もうこれ以上改善努力の余地はありません」という人間は、戦った者への敬意は払えていても、敗北から何も学んでいないことになります。

 

第三は、「負けを悔やまず喜んで受け入れる」

避けられないものは自分から抱きしめるのが得策ということです。

 

この3つのポイントは当たり前だと思う人は多いでしょう。しかし、きちんと実践出来ている人は少ないはずです。

 

不祥事の謝罪会見で、言い訳だらけの話をする人の姿を見ると、多くの日本人にとって、決して「負け」を認めないことが賢い生き方になっているとしか思えません。

 

教訓を得たいなら勝者より敗者の話を聞くべき

ビジネスでもスポーツの世界でも、一度も負けることなく全ての勝負に勝ち続けることは誰にも出来ません。私たちは、いつか必ず敗北の日を迎えます。

 

そのときに、何の教訓も学ばず、ただひたすら不愉快な後味を残すだけの「無意味な敗北」を引き受けることだけは避けたい。

 

勝つ以上に多くの利益をもたらす負け方があることを知る。これがビジネスにおいても人生においても大切なことです。

 

それにも関わらず、私たちの多くは、勝者から成功の秘訣を授かりたがる傾向が強く、敗者の言葉は負け犬の遠吠えとして退け、美徳として「敗軍の将は兵を語らず」を好む。

 

しかし、優れた戦略家とは、打ち手が失敗に終わっても、そこからきわめて価値ある何かをつかみ取ることが出来る者です。

 

経営者として目指すところも連戦連勝ではなく、多くの負けからさらに多くの果実を得る粘り腰としたたかさである。そのことを肝に銘じたいと思います。