ここまでのコラム100話にはある共通したスタンスがある

本コラム「黒字経営のその先へ」は、約2年弱毎週欠かさず書き続けていたら、今回で100話目となりました。

 

50話の区切りのときには、「第50話:なぜ毎週コラムを書くのか~高度情報化社会の流儀」というテーマで、通常の回とは違った話をしました。

 

そのときとは違った観点から、本コラムの趣旨に焦点を当てることが今回の目的です。

 

もう少し具体的に言うと、100話すべてのテーマは毎回違えども、共通して意識しているスタンスがあるので、それを明らかにすることが今回の主題です。

 

さて、このコラムに限らず、世の中には多くの専門家が、経営についてブログを書いたり書籍をしたためたりして、情報を発信しています。

 

こうした多くの専門家の語り口には、ある一つの共通した特徴があります。

 

それは、忙しく時間がない経営者に読んでもらえるように、「簡単」に表現するということです。

 

そのために、経営者なら誰でも知っていることからスタートして、専門家なら誰でも言いそうなことを平たく言い替えて終わるというスタイルに行き着くことが多いのです。

 

そうしたスタイルは、話を「簡単」にすることには役立つかもしれませんが、「分かりやすく」することには必ずしも繋がりません。

 

「簡単なこと」と「分かりやすいこと」は、非常に似ていますが違うことです。このテーマについては、以前のコラムで取り上げているので、興味があれば参照してください。⇒第7話:話を簡単にし過ぎることに潜む危険

 

そこで、本コラムのスタンスは、まず最初に私たちは「経営においてなにを知らないかを」を問います。

 

そしてつぎに、「なぜそのことを知らないままで、今日まで済ませてこられたのか」を問う、という2つの問いを意図的に多用しています。

 

でも、経営とは非常にファジーなものであるうえに、ほとんどの社長が試験を受けてパスしたから今の地位にいる訳ではないのに、経営において知らないことを入口にするのは、書き手の優越性を誇示するためのズルいやり口だと思う方がいるかもしれません。

 

その反論には一理ありますが、私が取り上げたい「経営において知らないこと」とは、知らないことの全てではありません。

 

むしろ、経営を司るために雑多なノイズは邪魔なだけなので、知らないことの中に、知らなくてもいいことと知るべきことの境界線をきちんと引くことの重要性を伝えたいのです。

 

このことを「分かりやすく」するために、いつものように一見すると無関係な話に一度飛びます。

 

日本人女性の乳がん検査受診率が低い事実とその理由

このところ、女性有名人が乳がんに罹り、その事実を発表することが続いています。

 

北斗晶さん、南果步さん、生稲晃子さん、小林麻央さん・・・

 

女性有名人が乳がんとの闘病体験を発表するとき、その理由として、こんな内容のことを語ることが多いものです。

 

「乳がんと戦っている世の多くの女性を励ますとともに、私は大丈夫だと思っている方へもがんの発見が遅れるリスクを伝え、早期発見のための検査受診の啓蒙になれば」

 

まあ本当のところは、最近パッとしないので世間の注目を集めたいとか、今後の講演活動のネタにしたいとかいった、ご自身の世知辛い事情があるのかもしれませんが、そこはツッコミを入れないことにします。

 

私のイケずな邪推はともかくとして、何人もの女性有名人が乳がんに罹患し治癒したという発表をしたところで、残念ながら彼女達の意図する結果は得られていません。

 

そう、日本人女性の乳がん検診の受診率は、諸外国と比較すると極めて低いままなのです。

 

日本医師会のサイトを見ると、その事実に間違いはないようです。

 

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受診率トップのアメリカが80%を超えているのに対して、日本わずか36.4%に過ぎません。

 

ただし、アメリカだけ受診率が高い訳ではありません。フランス、イギリス、ドイツ、韓国も70%前後の受診率であることを見ると、日本の36.4%という数値の低さは突出しています。

 

では、なぜ日本人の女性は乳がん検診を受けないのでしょうか。

 

その理由を探るためには、内閣府が発表した「平成26年11月調査 がん対策に対する世論調査」を見てみました。

 

この世論調査の結果を見ると、日本では、乳がん検診に留まらず、胃がん、肺がん、大腸がん、子宮頸がんについても、男女とも検査の受診率が50%を下回っていることが分かります。

 

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そして、がん健診を受けない理由として、つぎの調査結果が発表されています。

 

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最大の理由が、「受ける時間がないから(48%)」となっています。

 

しかし、私たちがやらない理由として「時間がないから」と語るとき、それは言い訳で本当の理由ではないことを、自分自身が一番知っているはずです。

 

必要があれば、止められようが反対されようが、人はそれをやるための時間をつくります。

 

だから、毎月ヘアサロンやネイルサロンへ通っている女性や休みの日には欠かさずパチンコへ繰り出している男性に、他のことをやらない理由として、「時間がないから」と言われても、にわかには同意し難いのです。

 

むしろ、2番目以降の理由で注目すべきは、3番目に多い理由「がんであると分かるのが怖いから(37.7%)」です。

 

他の理由が、多かれ少なかれ本音を覆い隠すための言い訳にしかなっていない中で、この理由は本音が滲み出ています。

 

したがって、「時間がない」「費用がかかる」「必要性を感じない」というがん検査を受診しない理由の上位を占める回答の裏には、「がんであることが分かるのが怖いから」という本音が隠されていると推察するのが妥当ではないでしょうか。

 

実際のところ、この調査において、「がんに対する印象」を聞いているますが、70%以上の人が「がんは怖い」という回答をしています。

 

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このように、「がんは怖い」と思っているがゆえに、検査によって「がんであることが分かるのが怖い」というのが、どうやら多くの日本人が、乳がん検診をはじめとしてがん検診を受けない本音だと、結論付けても良さそうです。

 

さて、ここまでたっぷりと乳がん検診の話をしていますが、その目的は、ピンクリボン運動推進ではありません。(もちろん、乳がん検査の受診率向上は望ましいことに同意します。)

 

この「がんが怖い」から「がん検査を受けない」という日本人のマインドセットが、経営者が自らの会社を見る場合のマインドセットと映し鏡になっていることを指摘することが目的です。

 

会社が潰れる本当の理由

会社の倒産を定義することは、意外に難しいのですが、細かいことはさておき、どのような遠因があろうとも、最終的には決済のための資金がショートするという形に収斂します。

 

そのため、多くのコサルタント・税理士は、売上も利益もさることながら、資金繰りを最重視したキャッシュフロー経営をしましょう、という主張をしています。

 

たしかに、どんなに大赤字でも資金がある限り、会社は決して倒産しません。

 

では、資金繰りに細心の注意を払いながらコントロールしていけば、会社は繁栄し続けるのかというと、そんなことはありません。

 

崖っぷちに立った企業の経営者から相談を受けると、毎回必ず同じ失敗の轍を踏んでいることに気付きます。

 

それは、経営者として企業の「分岐点」を見過ごすという過ちを、何年も前に犯していることです。

 

嵐の海を進む船に例えて言うなら、傾きが少なければすぐに元に戻りますが、ある一定以上傾いてしまうと、復元することができずに転覆し、やがて船は沈んでいきます。

 

ある一定の角度を越えて傾いてしまった船は、どんな凄腕の船長をもってしても、どうにもすることができません。どんなに悔やんでもどうすることもできません。

 

船を存続させるために船長ができることは、「その角度まで船を傾けないこと」これに尽きるのです。

 

そのために船長は、晴天時に、船の性能をあげる、積み荷のバランスをとる、船員の訓練をするといった事前準備を十二分に行うと同時に、早期に嵐の発生を知り針路の変更をするという判断を行うことも必要となります。

 

おなじように企業の経営者も、好調時にこそ重大な経営決断をする必要があります。

 

ところが、経営者はつい、目の前の商売、ビジネスにとらわれ、その回復や改善に執着してしまいます。

 

経営者が取り組むべき優先課題とは、事業構造と経営基盤を中長期的に変化させていくための経営決断なのです。

 

そして、知りたくはないかもしれませんが、その決断を実行するデッドラインは、ほぼ全員の社長が思っているより相当早い時期にやってきます。

 

だから、企業が倒産する直接的な原因は資金ショートかもしれませんが、本当の原因は、経営者が必要な時期に必要な経営決断をしていないことに尽きるのです。

 

では、なぜ経営者は自社の「分岐点」をやすやすと見過ごしてしまうのでしょうか。

 

その構造を解き明かすヒントが、「がんは怖い」から「がん検査を受けない」という日本人特有のマインドセットにあると考えています。

 

なぜ経営者の多くは経営の「分岐点」を見過ごすのか

それぞれの人には、知らないことがたくさんあります。

 

この事実について、少し頭がよい人は「世の中の森羅万象のすべてについて知り得るほど、私たちは物理的かつ時間的キャパシティを持ってないのだから、当たり前のことだ」と考え、何ら疑問を抱きません。

 

でも、私は「なぜ人はあることを知らないのか」、あるいは「なぜ今日までそれを知らずにいたのか」という問いに対して、もっと深く考えたいと思います。

 

「機会がなかった」とか「面倒臭かった」という答えを簡単に思いつきますが、それは違います。

 

私たちがあることを知らない理由は、たいていの場合一つしかありません。

 

それは、「知りたくない」からです。

 

より厳密に言えば、「自分があることを知らないという事実を知りたくない」からです。

 

つまり、無知の知を認識することを避けたいという主体的欲求が働いているのです。

 

ですから、無知というのは単に知識が欠乏していることを意味しません。

 

「知りたくない」「知らずにいたい」というひたむきな努力の結果、無知の知を認識せずに済んでいるのです。

 

言い替えると、無知とは受身で怠惰でいた結果ではなく、能動的に努めて得られた賜なのです。

 

たとえば、小中学校時代を振り返えってみましょう。学校には「ワル」と呼ばれている一群がいました。

 

彼らは、「大人が決めたルールには従わない」というアンチテーゼのポジションを貫くことで、アイデンティティを確立していました。

 

ですから、まずは決められた服装規定に従わず、長かったり、短かったり、太かったりする異形の学生服をわざわざ買い込んで身に着けるという記号的表現によって、「俺らはほかの奴らとは違うんだ」というメッセージを不断に発する努力を開始します。

 

つぎに、授業を通じて教師から学びを得るというあるべき姿に、徹底的に抵抗します。

 

授業を抜け出したり、私語を交わし続けたり、机に突っ伏して居眠りをしたり、クラスメイトをからかったりと、絶対に教師が授ける教えを耳に入れまいと、それはもう涙ぐましい努力を怠りません。

 

自分が、万が一学校教育に感化されるなどという事態が起きてしまったら、自らのアイデンティティを失い存立基盤を揺るがすことになるのだから、「知らない」状態を維持する必然性が彼らにはあるからです。

 

こういう話を聞くと、「ワル」特有の行動パターンだなと思い、他人事で済まそうとする人が多いのですが、基本的に「知りたくない」「知らずにいたい」ということに対してひたむきな努力をするという意味では、「ワル」も私たちも変わりがありません。

 

「馬耳東風」などという言葉がありますが、親や上司やが説教モードに入ると、反射的に耳からの入力をシャットダウンする術を、他ならぬあなたも身に付けているはずです。

 

反対に、何度言っても同じ失敗を繰り返す子供や部下が、あなたの身の回りにも必ずいるはずです。彼らは全員、「知らない」ことを維持するための努力を怠らない、ある意味勤勉な人なのです。

 

もし学びを拒否する人間が、やる気がなくダラダラ過ごしているだけの単なる怠け者だったら、ついうっかりして親とか教師とか上司の説教を真剣に聞き入ってしまうということが、何回かに一回は起こってもよいはずです。

 

でも、そんなことは絶対に起こりません。

 

あることを知らないというのは、ほとんどの場合、それを知りたくないからです。知らずに済ませるための努力を惜しまないからです。

 

そのための前ふりが、がん検診の話だったいう訳です。

 

多くの人は、がんを怖れています。怖れているけれど、あるいは怖れているがゆえに、がんと対峙する自信がない。だから、がん検査を受けないことで「がんである事実を知る機会」を自らの努力で消し去っています。

 

このような、事実を白日の下にさらさなければ無いも同然という考え方は、やっぱり極めて日本人的な言霊思想に基づいています。このテーマについては、以前のコラム第57話:経営の言霊において詳しく触れているので、興味のある方は参照してください。

 

同様に、経営者が自社の「分岐点」をやすやすと見過ごす原因は、単なるウッカリではありません。

 

経営者が、自社の「分岐点」の存在を「知らない」、あるいは「分岐点がいつだったか」を「知らない」とするならば、詰まるところ、その「知らない」ことが「経営者が必死になって目を反らしていること」を指し示しているのです。

 

根源的な問いを自分自身で引き受け考え抜く経営者

俄には信じがたいかもしれませんが、驚くほど多くの経営者が、「がんを怖れる」にも関わらず「がん検査を受けない」状況を積極的に作り出しています。

 

このテーマについては、これまで第56話:経営にプロフェッショナルを活かす第19話:財務分析も事業計画も意味がないでも触れてきましたが、とにかく自社の経営を客観視するとか、外部リソースを積極的に活用して自社に必要な適切な問いを設定するといった取り組みを軽視している企業が多いという実感を持っています。

 

その理由を聞くと、ほぼ「がん検査を受けない理由」と同じになるのが、何とも面白いのです。

 

「時間がない」「費用がかかる」「健康に自信がある」「必要性を感じない」

 

でも、これもがん検査と同じで、そこに隠された本音としては「がんであることが分かるのが怖い」からなのです。

 

だから、クレバーに自社の「分岐点」を見定める努力を怠る代わりに「知らない」で居続ける努力を必死で続けていると、ある日突然ステージ3くらいのがんの宣告を受け、手術を受けたり抗がん剤の投与を受けたりして、死ぬか生きるかの瀬戸際で痛い思いをしている企業があとを絶ちません。

 

私は医学の専門家ではありませんが、医学専門書を手に取ると、さまざまな病気の対処的な治療法はたくさん書いてあります。

 

ところが、「人はなぜ老いるのか」「人はなぜ死ぬのか」という根源的な問いは取り上げられていません。

 

なぜなら、そんなこと誰も「知らない」からです。

 

でも、誰も知らないということは、今回のコラムの理路に照らすなら、それこそが私たちが努力をして目を反らそうとしている核心的な問いであることに間違いはありません。

 

実は、ほとんど全ての経営書やビジネス書、そして専門家が呈するコラムのごときものも、この医学書と同じ構造となっています。

 

もっぱら「資金が足りないときの切り抜け方」「売上が伸び悩んでいる場合の打開方法」のような個別の病症的なテーマについて情報が提供されていますが、ごっそりと「なぜ企業は衰退するのか」「なぜ企業には寿命があるのか」についての、根源的な省察が抜け落ちています。

 

なぜなら、そんなこと誰も「知らない」からです。

 

けれども、知性的かつ実践的な経営者を目指すならば、自らに課すべき仕事は、誰でも知っている問いに「答を出す」ことよりも、根源的で誰も答を知らない問いから目を反らさずに、その問いを繰り返すことです。

 

何を知っているかではなく、何を知らないかを起点に行われる経営。もし経営に巧拙があるとするならば、売上や利益の額によって量られるものではなく、この経営の基本スタンスがあるかどうかこそが分かれ目になるのです。

 

ですから、本コラムが狙うところは、答えることが難しい問い、一般解のない問いを示し、それを経営者一人ひとりが自分の課題として、みずから引き受け、ゆっくりと噛みしめることができるように差し出すことなのです。

 

私を含め人間とは、例外なく完璧な存在ではなく愚かさを持っている生き物です。

 

その人に知性がある、あるいは能力が高いという意味は、その自分の愚かさに他人に指摘されるより先に気付くことであり、自分の正しさをいついかなる場合でも強弁することではありません。

 

つまり、経営者が経営者でいられるのは、自社のビジネスモデルや戦略の限界に、市場の結果を待つまでもなく先に気が付く限りにおいてです。

 

どれほど証拠を突き付けられても自説を譲らず、どれほど諫言されても自分に都合の悪いデータを無視するような人間は、失敗を先延ばしにする分だけ、結局被害を拡大することしかできません。

 

大変僭越ではありますが、本コラムを通じて、「知らない」を続ける努力を放棄し「無知の知」を潔く受け入れ、自律的に動的安定経営を御する経営者が増えることを目して、次の150話への一歩を踏み出します。